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2011-10-15

10月14日 薯榔尖 - 菁桐古道 展望台の山と古色の山道

平渓の山は、九月半ばに登った五分山の後二度目となる。五分山から平渓の谷に沿って西の方角を見ると、姜子頭山から延びる尾根の先端に、飛び出ているピークがあった。それが今回訪れた薯榔尖である。独立のピークであり、展望が非常によい山頂だ。この谷間に汐止と菁桐とを結ぶ菁桐古道が通っている。この道は、汐止と菁桐との間の物資を輸送する道であった。今回はまず薯榔尖を登ったあと、一旦谷に下り、その後菁桐古道をまた登って、山の反対側汐止側に下るルートを行った。

今回のルートは五分山、皇帝殿山、四分尾山の近く
南の菁桐から汐止へ歩く
一坑口からの薯榔尖
今週は、天気がすっきりしない。天気も下り坂という予報だが、朝はまだ雲の切れ目から太陽も顔をだす。木柵から106号線を経由して平渓行きの1076番バスに乗るべく、MRTで木柵駅に行く。ちょうど前の便が出たところのようで、20数分待ち木柵7時15分発のバスに乗る。バスは石碇の谷あいから登り分水嶺の峠を越えて平渓の谷に入る。平日は平渓までいく乗客は多くないのだろう、八時過ぎに菁桐の一坑口バス停に着いたときは、車中はほかに途中から乗車した一人乗客がいるだけであった。

薯榔尖の登山口

炭鉱の空気穴?
一坑口は、もと炭鉱の町菁桐の初期発展期の坑道口があったところだそうだ。古い住宅が並び、昔の繁栄をしのばせる。ただ、観光の町として発展している台鉄菁桐駅周辺に比べると、取り残された感じだ。長屋も人が住んでいないところもあり、少し荒れている。川沿いの道を行くと、右上にはこれから上る薯榔尖がそびえている。均整のとれた三角形のこの山は、平渓富士とも言うそうだが、富士山にしては頂上が少し尖りすぎている感じだ。

急な登り道
案内板から川沿いの石畳の道を少しいくと、右に土の急な山道が登っていく。これが薯榔尖登山道である。案内板には旧道という記述であるが、下りに通った反対側の二坑口からの石階段の登山道にくらべると、ずっと自然に近い。やせた尾根道を行くと、石で作られた構造物の上をまたぐ。これにはいくつも穴が開いているが、空気坑か何か廃棄された炭鉱に関係するものだろう。途中、すこし平らな場所を通過するが、急なほぼ登り一方の登山道だ。ところどころに補助ロープもある。前日に降った大雨のためだろう、普段より水量の多い沢の音が次第に聞こえなくなり、梢の切れ目から見える谷向こうの山並みの高さが下がってくる。左に薯榔尖から延びる尾根が近づいてくると、草のあいだから国旗が見えた。頂上についた、時間は9時10分、バス停から歩き始めて1時間だ。

五分山とその先の九份の山、手前のとんがりピークは石筍尖
皇帝殿山
頂上から一坑口の街を見る
標高622mの頂上は果たして絶好の展望台であった。天気は薄曇りだが、360度すべて見渡せる。汐止の大尖山もそうであったが、ここも国旗を毎日掲揚しているようだ。東には五分山やそのあとに訪れた九份の山が見える。尖っているのは半平山か、その隣の高いピークは燦光寮山だろう。東方向を見ると、皇帝殿山の小ピークがいくつもならぶ山並、その右には二格山とその前の筆架山がある。台北101ビルと台北市内も南港山の右に見える。目を北側に向ければ、四分尾山の右に陽明山の山塊とその前に五指山がある。石筍尖も眼下にとがったピークで自己主張している。
頂上の三角点、背後は陽明山

石段の下り
頂上からは北に尾根を伝って、後に通過する汐平公道の福興宮へ行く道もあるが、今日の目的は菁桐古道を歩くことなので、先に下る。下りは、石段の整備された登山道である。先の登り道は急で、なおかつ雨で濡れていたのに比べると、こちらは気楽だ。25分で下りきり、菁桐古道と合流する。もともと石筍尖へ立ち寄ることも考えたが、天気も心配なので次の機会に譲ることにしよう。石段の山道を登り始める。途中沢を立派なコンクリート製の橋で越え、沢の右をいく。分岐から20分足らずで、三坑山山道と菁桐古道の分岐につく。ここには、昔炭鉱稼動時代に作られた輸送用トンネルである魔神仔洞がある。廃棄されたこのトンネルは、中はぬかるみで、周囲の薄暗い森のなかでは、その名のとおり確かに何か出てきそうな雰囲気だ。

魔神仔洞
魔神仔洞からは道は、俄然ひなびた感じに変わる。倒木などもあり、標識も少ない。道の両脇は草が少ないので、人の手は入っているが。五分山から下った十分古道に比べると、同等かそれよりも整備度が低い。それはそれで、古色十分で悪いわけではない。沢音も小さくなり、山腹を登る。魔神仔洞から30分で古道の最高点に着いた。ここには3.0kmの標識がある。梢のきれめから平渓の山々が見える。反対側は、最近整備されたのだろう、新しいロープの手すりや木製階段が造られている。ここから汐止区役所の管轄なのだろうか、それまでの整備度とは落差が大きい。少し下ると、三坑山へといく道との分岐に出る。魔神仔洞からはこの道を経由してここまで来ることもできる。

倒木もある菁桐古道
分岐から少し行くと、肉板峠につく。巨岩にはさまれた場所である。「肉板」という名前の由来がわからないが、「峠」は明らかに日本統治時代からのものである。峠という文字自体が、日本独自のもので中国語にはない。ここには、昔関所があり往来を管理していたということだ。峠という言葉が、そのまま残っていることは、地名として珍しい。


肉板峠
菁桐古道の入口
幅員が広くなった道を汐平公道へむかう。11時20分、薯榔尖を下りきった菁桐古道との合流点から1時間15分で汐平公道の峠部分である福興宮の菁桐古道入口に着いた。このあたりは、石のテーブルやいすがあるちょっとした公園の趣だ。ただ、草に埋もれているのでほとんど使われていないのだろう。ここから姜子頭山や耳空亀山を経て四分尾山への道が通じている。薯榔尖から尾根を伝い耳空亀山登山道に合流してここへ来ることも可能だ。時間はまだ昼前だが、後は下るだけなので休憩して昼食をとる。


汐止への道
菁桐古道の汐止側は、汐平公道をわずかに行った左側から始まる。菁桐側とはまったく性格が異なり、舗装された開放的な道である。事情を知らなければこの道が古道であるとは見えないだろう。下っていくと民家や畑などが現れる。仁愛橋までの行程半分ぐらいのところに明治四十四年九月建立とある開路紀念碑が立っている。この道ができて中華民国と同じに100年ということになる。大きな岩の上にあるので、近づくためにはすこし回り込む必要がある。

開路記念碑
舗装はされているものの、もともと古道なので勾配は急だ。汐平公路がかなり遠回りをして高度を下げていくのに比べると、直線的に下っていく。12時半に仁愛橋に着いた。下ること45分である。ここには、汐止区役所の無料社区バスが来ている。ただ、次の便は1時半なので、まだ時間が早い。何もないここではやることもない。雲間から太陽が出てきたので野ざらしで待つのはつらい。汐平公路を下ることにした。幸いにして交通量は少ないので、車道を歩くのも気楽だ。東山国小前を通り過ぎさらに下る。汐平路1段ぐらいところで、社区バスがきたので乗車した。汐止駅まで乗車し、そこから668番のバスに乗換え、台北に帰った。天気は果たして崩れて、台北につくころにはかなりの大雨となっていた。

歩行距離は汐平公路の歩きも入れて11.5km、時間は5時間10分である。今回は2度登りを行ったので、距離の割りに登攀高度は770mとそこそこある。前の日が大雨であったので、空気中のちりなどを洗い落とし透明度が増したのだろう、今回は遠くまでの眺めを得ることができた。毎回のことだが、登るたびに過去自分の登った山々が判別できるようになり、それはそれでまた楽しいものである。

薯榔尖.菁桐古道高度プロファイル

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