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2012-12-15

2012年12月14日 粽串尖-獅仔頭山 山の西側安新から登り鹿母潭へ下る

天上山から見る登山対象、手前の枝尾根から獅仔頭山へ登る (2011/6撮影)
一時日本へ帰国していたこともあり、しばらく台北郊外登山をしていなかった。その間台湾は雨の日が続いていた。その長雨が切れ、快晴の天気がやって来た。日本から一時台湾を訪れている、大学の後輩K君が山行への同行を希望している。できたら日本統治地代の縁がある場所を、ということなので、以前考えていた獅仔頭山を西側の三峽區安新から登ることにした。天上山からは獅仔頭山から南に竹坑山,熊空山へ続く山塊が見える。今回の山行は、まさに天上山から見えている獅仔頭山の谷や尾根を経ての登山である。多くの登山客は、反対東側の隘勇線登山口から登るが、安新からの道は長く、程度も良くない。初めて登るK君には、すこしキツかったかも知れないが、若くて体力もあるので大丈夫だったようだ。

対象の山は台北の南側(マウスクリックで拡大表示)
左上の安新からスタートし、安坑へ下る(一部軌跡未記録)

獅仔頭山は日本統治時代の歴史にまつわる遺跡が多く残っている。統治時初期には、反日義勇軍の基地であり、その後樟脳産業の振興に反抗する原住民泰雅族との抗争に対応するため、警察が駐在していた。それらが、数十年の時間を経て残っている。地方行政による登山道整備や、遺跡の保全整備なども行われ、こうした遺跡を見て回ることができる。更に、獅仔頭山は大台北の南に位置し、天気が良ければ台北盆地の都市の様子、周辺を取り囲む山々をすべて眺められる、絶好の展望台でもある。今回は、晴天のもとでの登山で、遺跡の回遊や台北の展望をすることができた。

安坑路から見る天上山山塊、茶畑の脇を登る
今回の山行は、舗装された産業道路の部分がかなりあるが、歩行距離は少なくない。標高差も、標高100mの安坑路入口から857mの獅仔頭山まで約750mある。日暮れ前に下山できていることを確保するため、新店を7:10発779番バスに乗るため7時にK君とMRT新店駅で落ち合った。新店駅バスターミナルで779番の表示のあるベイの前で待っていたが、時間になってもバスが来ない。ふと見ると、779番バスがすでにターミナルを出て、街道に出ようとしている。走って信号待ちのバスまで行き、乗った。表示と違うベイから発着しているのか。この便に乗らないと、次は一時間後になってしまう。

路肩が流された廃棄産業道路
廃棄された炭鉱関係の建物と思える廃屋
約30分の乗車で7:40に安新バス停に着いた。途中、開発された新住宅が多くある。大台北地区の住宅は、どんどん外へ広がっている。安新は、まだ田畑が広がる。準備を済ませバス停から少しもどり、右へ安坑路を歩く。今日はこの道を終点まで歩き、そこから粽串尖へ続く尾根に上がる予定だ。道の入口には、山門がある。反対側の道にも山門が、台湾は廟やお寺がとても多い。振り返れば、天上山の山脈が向こうに側にある。道はゆるやかな登りだが、右山腹に広がる公墓をすぎると勾配がきつくなってくる。十数分登り、珍園蛍火虫花園の脇を過ぎる。ここはその名の通り、蛍生息地なのか。さらに数分登ると、舗装された良い道は左に折れ天師廟に向かうが、我々の行く道は直進する細い道だ。舗装はされているものの、交通量は明らかに少ない。もともとは、奥にある安新炭鉱から石炭を積み出すために使用されていたのだろうが、廃坑になって久しく道は荒れるに任されている。沢側の路肩が大きく崩れている場所も数カ所出会った。天師廟への分岐から約15分ぐらい歩くと、左側に廃屋が二つ並んでいる。白タイルを張ったコンクリの建物で、古道で見かける石積みやレンガの廃屋とは違う。おそらく炭鉱関係の建物だったのだろう。

沢を渡渉するK君
もともとの舗装産業道路は、流されたり草で覆われたりで、表面の舗装がなければ以前は産業道路だったとはわからない。このルートを歩く登山者も少ないようで、標識リボンなどもあまりかかっていない。ただ、踏み跡はしっかりしているので、迷うことはない。沢を越える部分に出た。連日の雨で沢は水量が多い。流れの中の石を慎重につたい、対岸に渡る。山崩れで、沢は大石がゴロゴロしている。沢から登り返し草をかき分け進むが、北側にあるここは薄暗く、冬の太陽もあまり当たらないためだろう、草は水がたっぷり載っている。ズボンはたちまち濡れてくる。ひょっこり、また廃棄産業道路に出る。道はジグザグに折り返して高度をかせいでいく。右に補助ロープがかかり、急な上り道が山腹についている。ロープを頼りに登って行くと、また産業道路にでた。近道となっているのだ。

打ち捨てられたウィンチ
もともと幅員のある道は、崩れた大石に覆われているところもある。ある部分は完全に大岩が道を塞いでしまったので、トロッコの線路を使って簡易な橋としているところがあった。道端に打ち捨てられ錆びついたウインチも残されている。山腹に、洞窟が2箇所ならんである。これは炭鉱の坑道入口だったのだろう。薄暗いなか、廃坑となったこの場所は寂しい感じだ。その先にスレンレス製の大きなタンクが捨て置かれている。このタンクは、見た目にはそんなに古い感じではない。道を進むと、日が射して明るいところが先に見えた。9:50に稜線上の鞍部についた。安新バス停から2時間の道のりだ。

左の大岩が道を塞いでいる場所のレール製の橋
廃棄された坑道入口
鞍部、左側からやって来た、中央の山道を粽串尖へ登る
岩の登り
この鞍部は、反対側鹿母潭に降りていく道と稜線上の山道との十字路になっている。結構開けた感じだ。一休みの後、尾根上の山道を粽串尖へ向けて登る。急な登りが続き、間もなく補助ロープも出現する。更に行くと、苔むした大岩に足場が掘られ補助ロープが降りている登りがある。このルートは結構骨が折れる。鞍部から二十数分のぼると、右の木々が切れて今日はじめての展望ができる。遠くは三峽の街、その左に白雞山がある。手前は竹崙山、そしてその前の低い山は今日下る予定の鹿母潭への枝尾根とその先の鹿母潭山が見える。少し登ると、粽串尖(標高728m)の頂上に着いた。時刻は10時半、出発してから約2時間半だ。

粽串尖頂上直下から見る三峡方向、白雞山,竹崙山,鹿母潭山
粽串尖頂上からのパノラマ、遠くに観音山や陽明山、右は大丘田山
獅尾登山口と獅仔頭山
粽串尖は、二度目になる。去年11月に訪れて以来だ。前回と比べると、北側の樹木の一部が取り除かれたのか、より広い範囲が眺められる。遠くの観音山や陽明山も見えている。前回は樹木に隠れていた部分だ。大丘田山はもちろん、眼前に座っている。食事休憩を取る。休憩後、まず獅尾登山口を目指し下る。大丘田山への分岐を通り過ぎ、登り返すと10:53に獅尾登山口にひょっこり出る。広場になっている登山口からは、獅仔頭山があふれる光のなかでそびえている。ここからは、左に新店方向に車道が下る。右にとり獅仔頭山を目指す。今までの道に比べると、獅仔頭山周辺の道は、地元行政のメンテがあり程度が一ランク上だ。道の左側に並行していく木の桟道は、腐って穴が開いている部分のメンテが進行中だ。獅尾格坪の展望台からは、大丘田山から直潭山までのパノラマが広がる。残念なことにススキが高くしげり、視界を遮る。

觀音洞(佛祖洞)
更に登って行くと、右に小土匪洞への道が分岐する。前回は立ち寄らなかった歴史スポットだ。今回はK君に多く見てもらうため、この道を右にとり進む。進むと今度は右に觀音洞(佛祖洞)への道が分岐する。こちらをとり平な道を進むと、すぐに観音洞に着いた。オーバーハングの岩がかぶさるくぼみに、小さなな観音像と香炉が祭壇の上に置かれている。香炉を見るとお参りされている様子だ。谷側は樹木がなく、広い範囲の展望ができる。粽串尖から安新山へ続く尾根が見える。この尾根の山腹には、雛壇状の建造物がある。これは下山の時に分かったが、龍泉墓園だ。来た道を戻り、分岐から少し登ると右に小土匪洞がある。大土匪洞と同様に、抗日義勇軍が使用したということだ。ここから更に登って行くと、下ってくる登山者とすれ違う。今日初めて出会う登山者だ。獅仔頭山は、やはり人気のある山だ。

觀音洞からの展望、三峡の街が遠くに見える、左奥は白雞山、手前は竹崙山
大土匪洞からの道と合流し、11時半過ぎに獅仔頭山頂上(標高857m)に到着する。すぐ先の展望台に向かう。ここからの景色は期待していたように、素晴らしい。獅仔頭山はこれで三度目だが、同様に晴天だった第一回目に比べても、朝の霞がはれている今日は、さらにはっきり見える。山は3時間半の登りの苦労に応えてくれたわけだ。リンゴをかじりながら、景色を満喫する。老夫婦の登山客がやって来た。二人共一眼カメラを携えている。

獅仔頭山展望台からの大パノラマ
パノラマ中央部、新台北華城の別荘群、その向こうは景美・新店、更にその向こうは信義区
古井戸への分岐
ここからは、基本は下りだ。先に古井戸に立ち寄る。抗日義勇軍がここに籠城するために掘った井戸だ。次に、原住民との境界になるここで守備隊が駐在していた石寮へ下る。地元政府によって屋根がかけられ整備された遺跡が、ひっそり山の斜面にある。ここから道は更に下り、小沢を越える。守備隊隊員が必要とした水は、ここから取られていたのだろう。沢は年月を越えても同じように流れている。登り返すと、1906年に建立された防番古碑がある。この地で命を落とした警察人員の名前などが刻まれている。

石寮の下にある小沢
鹿母潭への枝尾根の下り
防番古碑は獅仔頭山前峰から下ってくる道と合流する分岐にある。ここからは、右にとり南獅頭山への主稜線を歩く。先に下り登り返すと、15分で鹿母潭への分岐点に着いた。時刻は12時45分、これからは枝尾根を下り、谷に降りた後は産業道路と県道104号を安坑へ歩く。はじめはゆっくりした下りだが、そのうち急な部分が現れる。岩を下る部分もあるが、他では見かけるような補助ロープはない。それほど歩かれていないのだろう。ただ、踏み跡はしっかりしている。道端に焚き火をした跡を、三、四カ所見かけた。空の米酒瓶も転がっている。不思議だ。下ること約40分、13時半過ぎ右に谷へ下る道と鹿母潭山へ続く道との分岐についた。少し開けたここにも焚き火跡と多くの米酒瓶やミネラルウォーターのペットボトルが転がっている。こんなところで焚き火をしながら酒盛りをしたのだろうか。倒木に腰掛けて休憩し、食事をする。

鹿母潭山への分岐鞍部、焚き火跡がある
紅葉樹がまとまっている
山道に落ちる紅葉
鹿母潭山は展望もないようなので、今回はこのまま下ることにする。急坂を下りていくと、間もなく広い道に下り立つ。地面には多くの紅葉した葉が落ちている。この周辺の樹木は紅葉樹だ。別の山でみたような数本だけでなく、かなり規模の大きい紅葉樹の群生だ。ここは、何か日本の秋に戻ったような錯覚をさせる。ただ、周辺は緑の常緑樹で、このような対比は日本ではない。赤色の落葉が沢山落ちた道を下って行くと、左に家屋が見えた。一人屋根を修理している人がいる。家屋の脇には、かなり大きな池がある。池には鯉がたくさん泳ぎ、周囲は紅葉樹が囲んでいる。不思議で美しい風景だ。

池とそれを囲む紅葉樹
産業道路上にも多くの紅葉
ここはまだ標高が500mを越している。山道はここで終わり、あとは舗装産業道路を400m下ることになる。舗装路であるが、車両はほとんど通らない。その上、苔と長雨のせいでとても滑りやすい。それでも、山道に比べれば労力は少なくて済む。福慧山と記された大岩を回りこみ下ると、車止めの柵を過ぎ、上から下りてくる別の道と合流する。つづら折りの道を下ると、沢を橋で越える。大水が流れたようで、周囲は石が路上に転がっている。枝尾根上の鹿母潭山への分岐から下ること1時間ほどで、左に大きな鉄皮の廃屋がある。廃坑に関係する建物のようだ。屋根もすでに落ちている。そのすぐ先には、路肩が沢水で大きく削り取られ幅員がとても狭くなっている。車で通過するのは不可能だ。

産業道路から振返る、主稜線がすでに遠い
今朝通り過ぎた粽串尖からの尾根上の鞍部へ登る道を含む、五叉路を通り過ぎる。ここからは、道の整備状況が良くなる。沿路には民家も現れる。かなり遠くにもかかわらず、民家の犬が吠え立てる。振り返ると、獅仔頭山-南獅頭山の主稜線が高い。まとまった人家集落が現れ、そこを下ると県道104号線に合流する。779番バスが通う110号線までは、あと3キロの道のりだ。竹崙溪にそって道はゆっくり下っていく。時々車が通り過ぎるが、幸いにして交通量は少ない。最近の天災で崩れた道やガケの補修が進行中だ。観音洞から見えていた龍泉墓園の下を過ぎる。ここからは、谷の向こうにある主稜線はすでに遠い。檳榔の林を曲り安坑の集落が現れると、今日の行程はもうすぐ終わりだ。レンガ造りの家屋が並ぶ町並みは、数十年前に戻ったかのようだ。コンビニもまだ一軒もなく、雑貨屋がならぶ。そのうちの一軒でビールを買う。15時45分、安坑バス停に着いた。K君と今日の完走を祝して乾杯する。かなりハードな行程だったが、若い彼はまだまだ元気だ。バス通学する建安小学校の生徒達がバス停に現れ、しばらくして779番バスがやって来た。

104号線から見る竹崙溪の谷あいの様子、粽串尖、獅仔頭山が遠くに見える
安坑集落の民家
今回の行程は約20km、休憩を含む所要時間は約8時間である。獅仔頭山からの下りは、想定していたより時間がかかった。距離が長いことがその理由だ。主要な登りは粽串尖と、そこから獅仔頭山への二ヶ所なので、累計登攀高度は920mだ。獅仔頭山は、隘勇線登山口までバスや車でやって来られるので身近に感じられるが、今日の歩きのように本来はそこそこ長い登りではじめて頂上へ行ける山なのだ。そう考えると、数十年前ここに駐在していた警察駐在員は、かなり山深いところで守備していたことに気づく。ましてや、その頃は県道などもまだ整備されていなかったからなおさらだ。

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