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2013-03-06

2013年3月5日 瑞芳大、小粗坑古道-琉榔步道 九份と基隆山を見ながら歩く

ツツジ咲く小粗坑古道から望む基隆山と九份
先週は中国海南島への旅行だったので、台北近郊登山は少し間が開いた。この週末には去年10月に引き続きW大学校友会でのハイキング活動があるので、その下見として九份の山へ行ってきた。久しぶりに一緒に登るHさんと、春の晴天のもと、とても気持ちのよい山登りであった。瑞芳九份周辺の山々は、樹木が少ない草の山が多いので強い陽射しのもとでは辛いが、風も吹いていく春は海も山も見晴らしがきいて、すがすがしい。

南の侯硐から始まり北西の瑞芳へ歩く
歩行高度プロファイル
九份周辺の山歩き記録
去年五月に基隆山を登った後、大粗坑古道を下って侯硐へ歩いた。今回は逆方向に大粗坑古道を登った。古道の上部にある大粗抗集落遺跡近くから、小粗坑集落へ続く山腰古道を歩き、小粗坑古道へつないだ。小粗坑古道は二月半ばにを登った。その時は、峠の少し下にある分岐から右に送電線保線路を経て大粗坑山へ登ったが、今回は分岐から左にとり小粗坑古道を更に下った。頌德公園に降りた後、左に進み琉榔步道を下ったあと、瑞金公路を瑞芳駅へ歩いた。九份の山を裏から登り、瑞芳へ下るルートである。自動車交通の発展する前は、古人は瑞芳からこのようなルートで九份へ通っていたのである。

煤礦博物館近くを歩く、小粗坑山が前に見える
台北駅でHさんと落ち合い、7時35分発の羅東行き区間電車に乗る。一般の通勤客とは逆方向で、通学時間はすでに過ぎているので、車内は割合と空いている。二人で座って話をしていると、すぐ隣りの中年婦人が声をかけてきた。我々二人暇人の話を聞いていたようで、山の話になった。そのうち、今日の予定に興味をもち、一緒に登ることになった。世間は人様々だ。8時半過ぎに侯硐駅に着いた。身支度を済ませ歩き始める。駅周りの商店はまだ店開きをしたばかりのようだ。駅前にいた一匹の黒犬がついてくる。我々三人に前後して歩き、連れ犬の如くだ。基隆河の左側を歩き、ビジターセンターわきの橋を渡る。瑞侯公路を少し行き、右に大粗坑溪に沿った産業道路を行く。坂道が始まる。逆光の朝陽の向こうに、牡丹山の稜線が高い。

朝陽の中に牡丹山の稜線が高い
メス犬を見つけた犬ここでお別れ
右に金字碑古道を分けると、産業道路は左へ大きく曲り登っていく。福徳宮まで来るとだいぶ高度が上がったので、対岸に三爪子坑山が見え始めた。前回歩いた時は、小柄なのに威勢のいい黒犬が吠えかかったきたが、今日はいない。9時5分、小屋が現れそのわきに大粗坑古道の入口がある。一緒についてきた黒犬は、ここでメス犬がやってきたので、その後はついてこなかった。対岸の升福坑の上の方に、大きな滝がかかっている。

大粗坑古道入口
花崗岩の石段の良い道が続く。道脇には桜の樹が植樹されているが、時期はすぎて葉桜だ。ツツジの花の他に月桃の花も咲いている。下の沢沿いには坑道口がある。遠目にはまだ操業中かのようだが、すでに廃坑である。沢にそった道は、ところどころ急坂が現れる。古道入口から30分足らず、9時35分に大粗坑集落の小学校分校跡に着いた。侯硐駅から一時間だ。途中左に小粗坑への古道入口があるはずだが、話しながら登ったので見落としてしまったようだ。分校跡の前には沢から引かれた水の蛇口もあり、ここはよい休憩ポイントだ。

大粗坑集落、左に分校跡、前には天橋が見える
山腰古道の入口
ほんの僅か登ってきた道を下ると、果たして右に細い道が続いている。ここが山腰古道の入口だ。この道は大粗坑と小粗坑との間で人々が往来するに使っていた。また途中には金鉱があり、その作業道でもあったが、金鉱が廃れるとともに忘れ去られた。大粗坑古道や小粗坑古道は、その後整備されたが、この道は整備もされず、健脚登山者が歩いているだけだ。入ると、早速草深い踏跡道になる。Hさんは大粗坑古道との落差にすこし驚いている。大粗坑古道はさしずめAクラスだが、山腰古道はCクラスだ。例の婦人は、山経験は豊富のようで元気だ。道は少しの登り下りがあるが、概ね平らだ。入口から数分来ると、山肌に穴が開いている。金鉱の入口だ。もちろん廃坑になっている。ところどころ、道幅が狭く注意が必要な部分もある。樹木が切れると、牡丹山から三貂嶺への稜線が対岸にある。

山腰古道から侯硐の谷を見る、右には三爪子坑山と背後の五分山
古道わきの金鉱廃坑口
二つ目の廃坑口を過ぎると、山腹を行く道は方向が変わって、侯硐の谷とその上の三爪子坑山が、さらには五分山頂上も見える。進むと、道は下り始める。補助ロープも現れる。木々の間に見える遠景は、瑞芳の街になる。山肌をぐるっと回ってきた。下って行くと、幹に沢山ロープが付いている。ここは急な土のザレた坂で、ロープを頼りに下る。その少し先にはトロッコ線路が数メートル残っている。金鉱作業で使われたのだろう。錆びついた二本のレールが、時の流れを物語っている。

錆びたトロッコレールが残る
10時48分、銀絲瀑布が現れた。山腰古道を歩いて約1時間である。残りはわずかだ。少し先にまた坑道口がある。周りにはゴミが散乱し椅子などもあるが、誰か住んでいるのか。10時56分、苔の石壁の廃屋が現れ、山腰古道は小粗坑古道との分岐に着いた。大粗坑古道の入口から約100m高度を下げたことになる。

銀絲瀑布












分岐は前回歩いた時には、あまり注意しなかったが、小粗坑集落跡から山神廟の登り道の三分の一ぐらいのところだろうか。一本調子の登りが始まる。山神廟から少し平な道を進む。右に尾根を小粗坑山頂上へ登る踏跡があるが、今回は古道をそのまま登る。対向方向から数名の登山客が降りてきてすれ違う。土の道は、ところどころ苔の石も露出している。11時20分峠に着いた。九份方向の景色が広がる。今まであまり休んでこかなったので、ゆっくり食事をとり休憩する。歩き始めて2時間40分ほどだ。

小粗坑古道を行く、峠まであと10分ぐらいだ
峠から見る海と基隆山、九份の街
基隆山を正面にみて下る
十数分の休憩後、小粗坑山頂上へ往復する。写真を写したあと、古道へ戻り下る。前回右に折れた分岐は左にとり進む。小石が敷かれた階段道が続く。左に尾根上を進む山道を分けたあと、基隆山を正面に見て古道は山腹をまっすぐ下っていく。分岐から約15分の下りであずま屋が現れる。大分高度が下がってきた。あずま屋からは右に九份へ続く道がある。左側の坂道を取り、頌德公園へ下る。葉桜となった桜並木が終わるとツツジの並木道となる。基隆山が大分高くなり、九份の街が同じぐらいの高さになると、頌德公園についた。頌德公園は、台湾五代家族の一つ、鉱山の繁栄で財を成した基隆顔家の顔雲年の功績を記念するため1917年に、ここに記念碑が建立された。1971年に鉱山運営が終了し九份は寂れたが、その後台湾の映画ロケ地として知られ、今日の観光での繁栄がもどった。この公園はその栄枯盛衰と復活を見守ってきたわけだ。

頌德公園
ツツジの咲く琉榔步道、向こうには基隆山
ここから右に進めば九份の老街はすぐそこだ。一緒に歩いてきた婦人は、一足先に瑞芳へ下っていった。結局誰なのか、お互いに紹介することもなかった。天気は快晴、基隆山や九份の街が見渡せるこの公園は、心地良い風が吹いてゆく。実に爽快だ。我々も瑞芳へ向けて、歩き始める。車道になっているが、ここは以前軽便鉄道があったという。少しゆくと立派な隧道を抜ける。更に進むと、車道から別れ琉榔步道が始まる。今は花崗岩の石畳が敷き詰めてあるが、この山腹を行くおおむね平な道は、軽便鉄道の軌道跡だ。瑞金公路ができ自動車にとって替わられるまでは、この軽便鉄道が九份への主要な交通手段だったのだ。道脇にはツツジが満開だ。歩くにつれ、基隆山が遠のいていく。頌德公園から約20分ほど歩くと、開けた公園になっている場所に着く。ここは軽便鉄道時代の流籠頭だったところだろう。遅咲きの桜が咲いている。穏やかな公園で一休みする。下の方に見える瑞芳が大分近くなってきた。

尾根上をまっすぐ下っていく琉榔步道、基隆の街が遠くに見える
瑞金公路わきの琉榔步道入口、奥に基隆山が見える
琉榔步道は、ここから尾根上をまっすぐ下っていく。ここもツツジが綺麗だ。途中トンネルを抜ける。以前はケーブルカーがこのトンネルを抜けていたのだろう。花崗岩階段の良い道を下ること20分、瑞金公路上の歩道入口に着いた。瑞芳の駅までは、あと一息だ。瑞金公路は、さすがに交通量が多い。車道は鉄道を橋で越えるが、歩道は鉄道下のトンネルをくぐっていく。基隆河沿いを進むと、右に車道として使われている旧トンネルがある。線路を越えてこのトンネルを通り過ぎ、13時48分に瑞芳駅に着いた。14時18分発の区間電車で台北へ戻った。

同行のHさんは、筆者と同年代だが普段運動をしているので、今回10.7kmの行程もそれほど難儀ではなかったようだ。休憩を含め5時間14分の行動時間である。登攀累計高度は、それでも770mある。九份は、老街は有名で賑やかになりすぎた嫌いもある。休日などは、狭い瑞金公路の交通は、往々にして混雑してイライラするほどだ。今回歩いた琉榔步道は、混雑する車道などとは別世界、春の晴天下では実に気持ちの良い歩きを提供してくれる。

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