このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2013-08-29

2013年8月25日 基隆小百岳槓子寮山と大武崙山 砲台の山を歩く

槓子寮砲台の砲座遺跡から海と基隆嶼を望む
日本は昨今の登山ブームの中で、深田久弥の百名山が登山対象として有名であり、これを全部登ることを目標としている登山者も多いと聞く。台湾は、3000m級の高山を対象とした百岳がある。その一方で、日本の百名山の精神に近い選択方法で選ばれた、小百岳がある。その土地を代表する山岳で、人文歴史的に意義のある山という選考基準で台湾全土から選ばれている。百岳が高きをもって尊しとするのに対し、小百岳は性格を異にし、標高2000数百メートルの山がある一方、わずか100数十メートルの山でも歴史的な意義を持ち、景観など優れた特徴を有するものが、そのリスト中ににある。台北の北部に位置する基隆市は、その行政区画内の最高峰は729mの姜子寮山で小百岳に選ばれているが、もっと低い三座も小百岳に選ばれている。一つは、六月に訪れた紅淡山であり、残り二つは今回登った、槓子寮山(標高163m)と大武崙山(標高231m)である。

基隆にある小百岳三座
槓子寮山ルート図
槓子寮山歩行高度図
この二つの山は、ともに日本との関係が深い山でもある。ともに、基隆港を睨んだ場所として清朝時代に大砲が据えられ、その後日本統治時代に規模や装備が拡張された。大砲はすでに無いが、砲座や兵舎、弾薬庫などの遺跡が残る。この二つの山は、ひとつは基隆市の東側、もうひとつは西側と離れているが、ともに標高が低くアクセスも楽なので、一日でともにカバーした。基隆市には小百岳が四座あるが、今回ですべてカバーしたことになる。海のそばのこの山は、海が綺麗に見えるハイキングコースとして最適である。

海洋大学の校門付近から槓子寮山を望む(右のピーク)
今日の同行者は、いままで何回か一緒に歩いた、Wさん夫婦とLさんそれにFさんの四名だ。もともとは、気楽なハイキングとその後の海岸歩きとして大武崙山だけを考えていたが、参加する面々を考えると、それでは物足らないものになりそうだ。そこで、急遽槓子寮山も同日に登ることにした。朝、南港駅を8時41分発の区間電車で基隆へ向かう。車上で参加者全員5名が集合し、日程を確認する。午前中は、まず槓子寮山へ登ることに決めた。


龍崗步道は良い道


9時15分頃、基隆駅前の基隆市バスターミナルから101番バスで、国立海洋大学バス停へ向かう。103番、104番バスも海洋大学を通過するので、アクセスは便利だ。基隆の街中を過ぎ、20分ほどで中正路と祥豐路の交差点にある海洋大学バス停に着く。校門をくぐり進む。正面には、これから登る槓子寮山が控えている。キャンパス内を山の方向に登っていく。道脇には登山案内板もある。数分で、男子宿舎わきの龍崗自然登山步道の入口にくる。入口の案内には北と南のコースが紹介されている。我々は南側の沢沿い道をすすむ。コンクリの道は状態がよい。自然に親しめるように、樹木や生物の説明板も道端に設けられている。蛍も観察できるそうだ。

砲台倉庫区の遺跡と説明石


今日は快晴だが、樹木の中の道で助かる。数分沢沿いに進んだあと、坂が急になって山腹を登り、枝尾根に取り付く。高圧送電線鉄塔の下をくぐる。ここまでくると、遠くの風景が望める。基隆嶼の小島が沖に浮かんでいる。分岐を右に取り、階段を登るとあずま屋のある鞍部にでた。正面には、瑞芳三爪子坑山から五分山への稜線がくっきり見える。10時15分、登山道入口からわずか20分である。産業道路に降りて、槓子寮山の砲台遺跡がある左側へ進む。産業道路を少し登ると、左へ砲台遺跡への道が分かれる。はじめに現れるのは、兵舎区だ。屋根はすでに無いが、建物の壁が残っている。

槓子寮砲台は、日露戦争に備えるため1900年から1908年にかけて、清朝時代の砲台を拡張したものということだ。28センチ榴弾砲など、当時の最新兵器が据えられていた。兵舎からさらに道をゆくと、倉庫区に来る。一番山に近い奥の建物は、弾薬庫だろうか。そのすぐわきに洞穴がある。Lさんは、これは海側に通じるトンネルの入口ということで、入ってみる。中は真っ暗だが、数メートル歩くと海側の断崖にある場所にでた。海がとても青い。

断崖の上に砲台がある。港は八斗子漁港、遠くに基隆山とその右に半平山が望める
はじめの砲座遺跡
トンネルを戻る。倉庫建物のわきに石段が登っていく。これを登り続く土の道を行く。海岸が下に開け、その先に砲台がある。大砲などはすでに無いが、台座のコンクリート穴が残っている。直径は三、四メートルはあるだろう。下方には八斗子漁港、その先は大海原が広がる。確かに砲台としては最適な場所だ。台座の壁には直径30センチぐらいの穴が下に向けてあいている。砲台の階段を下ると右側に石壁の部屋がある。先ほどの穴はここに通じている。連絡のための穴か、それとも弾薬などを渡すためのものだろうか。

砲台への階段




砲台下の道をさらに進む。二番目の砲台が現れる。この砲台も、先のものと同じような作りだが、直下の石室部分は大きい。この場所からは、基隆山から半平山、燦光寮山大、小粗坑山など、さらに三爪子坑山から五分山への稜線がくっきり見える。基隆山わきの九份の街も判別できる。標高がわずか百数十メートルに過ぎない山だが、小百岳に選ばれる理由がうなずける。砲台から山の中腹を行く道に下り、さらに鞍部に向けて戻る。鞍部のあずま屋で一休みする。時刻は11時18分、ゆっくりと景観と砲台遺跡をみることができた。

二番目の砲台から見るパノラマ(マウスクリックで拡大)
基隆山から五分山での稜線が望める
鞍部あずま屋から望む基隆方向
槓子寮山の三角点基石がある頂上は、この鞍部から産業道路を反対方向に進み、そこから山道を少し上がったところにある。しかし次の行程があるので、龍崗自然登山步道をそのまま下る。約20分で下りきり、大学校門へ戻ってきた。ちょうど昼時なので、中正路上のレストランで食事をとる。ここは学生街なので、値段はとても手頃だ。食事後、バスでまず基隆駅のバスターミナルに戻る。思ったよりも、スムースに戻ってきたので、1時半にはターミナルに着いた。次の目的地、大武崙山の中腹にある情人湖行きバスは14時10分発なので、まだしばらく余裕がある。近くで時間を潰した後、509番バスに乗る。約25分の乗車で情人湖バス停に着いた。

基隆港
大武崙山ルート図
大武崙山歩行高度図
少し場違い的な蒸機の展示
バス停は標高約120mぐらい、大武崙山の約半分の高さだ。バス停のすぐ上に、蒸気機関車が展示してある。鉄道もない山の上の展示は、少し場所違いの感じもあるが。日本のC57と同型である。屋外なので保存状態は、残念ながらもうひとつだ。休日なので、遊楽客がとても多い。石段を登る。アイスクリームの露天商などもあり、ここはさながら観光地である。少し登ると、右に大武崙山への道が分岐するが、情人湖へは直進だ。10分ほどで情人湖のほとりに着く。湖をめぐる道が岸を行く。湖の向こうには、山が控えている。大武崙山だ。多くの行楽客に混じり、道を進む。左から細い山道が合流する。これは基金公路から登ってくる道だ。もし、バスで情人湖まで来るのでなければ、この道を登るのが普通だ。

情人湖とその奥には大武崙山
老鷹岩(左の大岩)から澳底漁港と海水浴海岸を望む
更に湖沿いの道を進む。約半周ほどした辺りで、左に登っていく道が分岐する。これを取り進む。高度が上がり、周囲が望める。湖の入口から約20分ほどで、展望台がある。海が望める。沖には基隆嶼が浮かんでいる。尾根上の道をさらに進む。老鷹岩という、顕著な大岩が突き出ている。ここは、先の展望台よりずっと海に近いので、足下の海岸がよく見える。澳底漁港わきの海岸では大勢の海水浴客が遊んでいる。海は緑に透き通り、台湾の海も捨てたものでないと思う。急峻な山腹を山道が海岸へ下っていくのが見える。

展望台から山方向を望む、左が大武崙山、右の奥に情人湖の湖面が望める
老鷹岩からは、山腹をくだる。その先には、おとぎの国の塔のような展望台がある。情人湖の畔から見えていた塔だ。登ると広い範囲が望める。山側は、大武崙山を登る遊楽客が見える。遠くは、姜子寮山や四分尾山の山脈がかすかに見える。塔から大武崙山への登山口へ向かう。途中、左に道が分岐する。海岸へ下っていく道だ。その先に登山口がある。登山道は、レンガでできた急な階段が続く。上まで標高差数十メートルだ。途中の踊り場展望台を過ぎ、登り切ると砲台を周回する道に出る。どちらの方向へ行ってもここへ戻るが、右をとって進む。少し先に、砲台の遺跡が現れ始める。

大武崙山の登山道途中から見る、向こうに黄色頭の展望台がある
大武崙砲台の倉庫跡
大武崙砲台も、槓子寮砲台と同様に清朝時代に築かれた砲台を、日本統治時代に日露戦争に備え、1900年から1902年にかけて拡張したものである。周囲をぐるっと1メートルぐらいの防弾壁が続き、中には砲台と兵舎、倉庫などが築かれている。大武崙山は、海からすぐ230mほど上がるので、要塞としては好条件だ。ここの遺跡も、屋根が無く壁だけが残るが、山を繰り抜いて部屋にしている構造の倉庫が多い。遺跡を見た後、大武崙山の三角点基石へ向かう。はじめ、周回する道を行くがそれらしいものがない。地図を確認すると、三角点は砲台の外だ。入口から出て少し行くと、左に標識リボンが架かっている山道がある。これを登って行くと、まもなく開けた頂上に着いた。時刻は16時11分だ。狭い頂上の中央には基石が埋められている。ここからの景色もなかなかだ。海が向こうに広がっている。

大武崙山山頂からのパノラマ
海興歩道を下る
頂上から砲台に戻り、登ってきた登山道を下る。塔へ向かう道の途中で、右に分岐を折れる。海岸へは二本の山道がある。左は、先ほどの老鷹岩から見えていた道だ。ここは右の海興步道をとり進む。50m毎に里程の表示がある。土の道だが階段などよく整備されている。森の中を下る。突如樹木がなくなると、開けて海岸が直ぐそばにある。土地公の祠がある。道脇の大石には白いペンキで千年古道と記してある。現在の自動車道が整備される前は、漁民が行商にこの道を歩いていたそうだ。分岐から約20分足らずの下りで、海岸の濱海大道に降り立った。16時50分、ちょうど305番バスがやって来た。305番は冬季を除く休日の午後にのみ運行されるバスだ。20分の乗車で基隆の街に戻り、廟街で食事をした後、帰途に着いた。

305番バス停、道わきには多くの飲食店が並ぶ
今回は、同日に二ヶ所を訪れる行程であった。但し、それぞれが2,3時間で歩き終わるような楽なコースで、気楽な山行きである。それぞれ約4kmで、合計約8kmの道のりだ。歩行時間も、それぞれ2時間30分ぐらいで、合わせて約5時間というところだ。難易度は、山道はクラス1~2、体力要求度も2といったところ、それぞれ個別に行けばクラス1かもしれない。景色もよくまた気楽に行ける、お薦めの場所だ。大武崙海岸では、水遊びもできる。

0 件のコメント:

コメントを投稿