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2014-04-24

2014年4月19日 熊獅縦走 三峽熊空山 - 新店獅仔頭山を道案内で歩く

獅仔坪で記念写真、背後は獅仔頭山(Wさん撮影)
昨年12月以来、久しぶりに慢集団の道案内をして熊空山から獅仔頭山へ縦走した。このルートは、二年半前に獅仔頭山から熊空山へ逆方向に歩いたことがある。二週間前にも、ルート確認のため熊空から熊空山を登り、竹坑山から安坑へ抜けたが、今回の登りはそれよりも簡単に感じた。参加者は自分を含めて合計38名である。人数が多いので時間は多く要している。

南の熊空から北へ縦走
初めに大きく登る歩行高度記録
熊空山は、三峡に近い白雞山からずっと連なってくる尾根が合わさり、そこから向きをほぼ九十度換えて北東方向に獅仔頭山へと続いている。この尾根筋は、100年ほど前は隘勇線と呼ばれる、原住民と平地人の境界であった。原住民は、そのテリトリーに進出して樟脳や茶葉を生産拡大してくる平地人との間に対立衝突が発生した。清朝末期から、こうした平地人(漢人)を保護するために境界を設けはじめ、そこには警備組織を駐在させた。日清戦争の結果、1985年に台湾を得た日本政府は、同じくこの隘勇線を維持していた。最終的には、大正期に対立は(当時は高砂族と呼ばれた)現地人の帰順でほぼ終息する。

有木小学校、校舎わきにロッククライミング練習台
二年半前の縦走では気付かなかったが、今回は熊空山と獅仔頭山との間で、三ヶ所ほどそうした隘勇線警備のための施設跡のように見える人工的な土盛を見つけた。他の手の入っていない古跡がそうであるように、今は樹木が茂り注意しなければ判らない。こうした山の中で、日本が関係する過去の歴史が残っていることは、感慨深い。

中型バスで登山口へ
今回のルートは、人数が少なければ一般交通機関利用でも行き帰りとも対応できる。しかし、人数が多いと話は別だ。行動時間が長くなり、更に獅仔頭山登山口からの新北市観光バスは定員20名で、尚且つ定員以上は乗れない。こうしたことで、グループはマイクロバスを用意し、7時前板橋駅前を出発する。途中、有木小学校に立ち寄りお手洗いを借りる。台湾の小学校は、けっこう対外的に開放されている。この山間の学校はとても綺麗である。100年前は、この地は原住民泰雅属のテリトリーだったところだ。熊空バス停を通り過ぎ、8時に登山口近くの九如橋に着く。いよいよ登山開始だ。

蚋仔尖へ急登が続く
いつものグループ活動のように、準備体操をすませ当日の行程について説明する。今回は、熊空山までの急登部分、縦走路部分、そして獅仔頭山からの下りと三段のセクションに分けられる。はじめの登りは3~3時間半、次の縦走路が4時間ぐらいと踏んでいた。最後の下りは、楽勝の部分である。8時15分、舗装路を登り始める。38名のパーティー隊列は、振り返ると本当に長い。

大勢のパーティーでは、体力や経験にばらつきがある。今回のルートは、決して楽な歩きではないが、全員がそろって歩き無事目的地に到着するのが最重要である。体力に自信のないメンバーに、できるだけ隊列の前の方を歩いてもらうように話す。これだけの人数だと、路上の難所などをすぎる場合、どうしても時間を要し前半のメンバーは後ろが付いてくるのを待たなければならない。気分的にも体力的にも、先に通り越し後部メンバーがやってくるのを待つほうが楽である。

蚋仔尖へ後わずか
舗装路からすぐに山道に入る。急登が始まる。火焼寮山を過ぎ、変わった形のガジュマル樹に着く。途中、気分が悪いメンバーが現れ、回復を少し待つ。ガジュマル樹からは、少し平な道が続くが、また急登が始まる。補助ロープを使った岩壁が現れる。この部分を通過するのは、少し時間を要する。道がゆるやかになり、10時45分に蚋仔尖につく。急登部分は、これで終わりだ。

天気は、曇で雨は降っていないが、途中の草は濡れていた。ヤマビルがやはりけっこういる。メンバーの何人かはすでにスネにヤマビルが取りつかれてしまっている。こういう時は、塩をふりかける。するとポロッと落ちる。けっこう血を吸って膨れた蛭は、塩をかけられると血とともに大量の水分を吐き出し縮んで死ぬ。一度血を満腹に吸うと、かなりの期間生きていけるそうだ。実際、もともとの数倍の体積までに膨らむのだから、そうなのだろう。

果樹園へむけて産業道路を登る
熊空山へ向けて、歩を進める。土の産業道路にでて進む。農園の下の部分でまた草の中の近道を取り、果樹園の中を登っていく。今日は、残念ながら曇っていて周囲の山が見えない。杉林の中を進み、11時40分熊空山に着く。歩き始めて3時間25分、ここまでは予定通りだ。昼食にする。そこそこ広い頂上だが、30数名が休むといっぱいになる。

熊空山は標高972mで本日の最高点だが、獅仔頭山まではまだ遠い。30分ほどの食事休憩後、縦走路を進み始める。小さい上り下りを過ぎ、岩壁の下りに来る。メンバー各人の技量には差があるので、大人数が通過するのはかなり時間がかかる。竹坑山との最低部に着き、二箇所ほどピークを越していく。前回左に曲がっていった竹崙山への分岐点を通り過ぎる。その先ほんの僅かで、13時53分に竹坑山(標高953m)に到着する。

熊空山頂はメンバーでいっぱいだ
竹坑山山頂
写真を写したあと、次に向けて歩き始める。右に加九嶺への道を分け、下っていく。竹坑山から20分ほど歩いてきたところで、右に土盛をして周囲を囲んだような場所がある。以前は気付かなかったが、これは人工的なものでおそらく隘勇時代の遺跡だろう。ここで隘丁と呼ばれる警備兵が駐在していたのではないか。その先にももうひとつそれらしい物を見る。14時44分、竹坑山北峰(標高803m)へ着く。前回は、ここから獅仔頭山が見えたが、樹木が成長してよく見えない。それに天気が良くないこともある。

縦走わきに人工と思われる土壁が残る
狭い頂上は、全員が上がれないのでメンバーは立ちかわりで登る。稜線道に戻り、左に折れて鞍部へ下る。この部分は下方にある送電鉄塔の保線路なので道幅が広くて良い道だ。15時6分に下りきり、後方のメンバーが下りてくるのを待つ。途中でも隊伍が切れてしまうと、追いついてくるまで待つ。疲れを見せ始めたメンバーも現れる。残りは、あと四分の一というところ。

鞍部からは、道はまた細くなる。急な登りを登りきり、下りが始まる。ここで、かなり大きなギャップが現れる。補助ロープがあるものの、少し思い切りが必要なので、全員通過に時間がかかる。地図上では南獅仔山となっているが、特に表示もないなだらかなピークをすぎる。あとは、一度下って登り返せば獅仔頭山である。左に以前曲がっていった鹿母潭への枝尾根道を分岐する。

金毛杜鵑花の咲く道
坂道を登っていく。またひとつ人工の土盛がある。更に登る。赤いツツジが咲いている。金毛杜鵑花だ。最盛期は過ぎているが、それでも道端に続く花は、苦労を慰めてくれる。17時、防蕃古碑のテラスに着く。当初の予定より1時間ほど多くかかっている。もともと、時間が早ければ獅仔頭山の残る幾つかの遺跡を見て歩くつもりであったが、この時間では難しい。そのまま稜線にでて左に折れ、三角点を目指す。17時10分、三角点につく。わきの展望台は霧のため、今日は眺望はない。

霧の中の猴洞尖



すぐに先ほどの分岐に戻る。疲れて三角点は良いのでそこで待っていたメンバーと合流し、下り始める。最高点を過ぎ、坂が急になる。補助ロープの急坂を下り、木製梯子の上部に来る。ここから二段の梯子下りだ。梯子はかなりの急勾配だ。しかし、造りはしっかりしているので、慎重に下れば問題ない。途中のテラスからは、獅坪の向こうに猴洞尖と鹿鵠崙が霧にうっすらと佇んでいる。18時、全員が下りきり最後の記念写真を撮る。更に登山口へ下る。18時18分、新潭路の登山口に着く。マイクロバス二台が待っていた。

新潭路の登山口に降りてきた、バスが待っている
休憩を入れ約10時間の行動である。思っていたよりも、一部のメンバーにとってはきつい縦走であったようだ。最後の部分は、厳しいと思いながらも、日暮れ前に下山する必要があるので歩き続けた。幸い日没前に全員登山口におり、新店で食事を共にすることができた。歩行距離については、メンバーの中には更に多くの計測値を出している人もいるが、筆者の記録では11km弱である。累計で1000mぐらい登っている。

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