このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2014-09-08

2014年9月6日 鶯子嶺 - 太和山 - 梗枋古道 宜蘭の名山を灣潭から登る

太和山山頂から見る鶯子嶺,手前は縦走してきた稜線
台湾本島の北東に位置する宜蘭県は、東側を太平洋、その他は屏風のように続く山々に囲まれた蘭陽平野が中心である。屏風となる山々の内、蘭陽平野の北端、頭城のすぐ上に標高942mの鶯子嶺が控えている。前回登った烘爐地山とともに、蘭陽五名山の一つに数えられている。五月に頭城の太和山と古道を尋ねた。太和山頂上から南側を望むと、奥に高い山がありその稜線で蘭陽平野の一部は遮られていた。その山が鶯子嶺である。

北西の灣潭から歩く(一部の軌跡なし)
灣潭から登ると登攀高度は少ない
頭城から山を越えると美しい古道が数多く残る新北市雙溪区に入る。今回は、その最奥にある灣潭から出発である。七月に歩いた灣潭古道から烏山古道へ行く途中、灣潭で鶯子嶺登山道の入口を通り過ぎた。灣潭から鶯子嶺へは、もう一つの枝尾根である打鐵寮山を登る道もある。鶯子嶺からは南へ礁水坑山を経て頭城へ降りていく。その途中で、東に折れて太和山へ枝尾根を行き、太和山からは坪溪古道を経て梗枋古道を下って亀山駅へ歩いた。

蘭陽平野の北端にある今回の登山地域、海上には龜山島
タクシーで灣潭橋まで乗車
ネット上にある鶯子嶺登山記録は、あまり多くない。特に灣潭から鶯子嶺への登山記録は多くなく、道の状態については少し心配であった。一度山に入ってしまうと、逃げ道がない。行ってみると、草がかぶっているが踏跡はあり問題がなかった。想定外だったのが、鶯子嶺から太和山への部分である。特に礁水坑山への分岐を過ぎた後は、僅か二年前に藍天隊が整理したが、草に埋もれ踏跡もはっきりしない状態に戻っていた。太和山は石空方面からは宗教登山でよく歩かれているのとは対称的に、このセクションはほとんど歩かれていないようだ。鶯子嶺から太和山まで距離は1.8km、そのうち礁水坑山への分岐からは僅か0.8kmで1時間半を費やしている。時速は何と0.5km/hでしかない。先月下旬歩いた大平林山から内平林山の縦走路を同じような水準だ。ここを歩く場合は、その事を理解した上で入る必要がある。

産業道路わきの第二登山口
台北から自強号急行列車で、雙溪駅へ向かう。メンバーは、最近常連のZさんとLさんだ。前回同じ列車で行った時は、遅れて8:36分発のF811無料コミュニティーバスに間に合わなかった。今回は間に合ったものの、マイクロバスは満員、立席は不可ということで結局乗車できなかった。そこで、前回同様駅前のタクシーで向かう。灣潭へは、虎豹潭への二倍NT$800である。くねくね曲がる産業道路を進み、9時15分に灣潭に到着する。バスだと、様々なところを回って来るので、10時頃の到着だ。費用はかかったものの、一時間ほど早く到着した。

草に覆われているが、その下に踏跡はある
木々のあいだより豎旗山が見える
灣潭崙、手前にコンクリ標柱
支度をして出発する。灣潭橋のたもとにある登山口から入る。入ってすぐ、道はアヒルの囲いわきでなくなってしまった。そこで、産業道路をすこし登り返し、道脇のもう一つの第二登山口から登る。橋わきの道は、誰も歩かなくなり通じなくなってしまったようだ。第二登山口はOKである。10分ほど進むと踏跡は草に覆われてくるが、しっかりしていて問題ない。振り返ると木々の間より、豎旗山が対岸に望める。9時53分、灣潭崙の表示が幹に取り付けれられいる。ここは苔むした標柱があるだけで、山頂ではない。

補助ロープの急登を行く
草原の部分に飛び出る、周囲の展望が広がる
尾根道は、急登がしばらく続く。10時12分、平になった場所で休憩する。緩い坂道を進む。尾根は結構巾があり、快適だ。道の状態も予想以上によい。もう一つの急登を行く。一度補助ロープの登りがあるが短い。木々のあいだより鶯子嶺が見える。10時54分、大石のところでもう一度小休憩する。灌木がまばらな林間の坂道は続く。11時27分、樹木が低くなってくると同時に、草が現れる。そのすぐ上で、草の間に飛び出る。周囲の景色が目に飛び込んでくる。その広大な展望にしばし見とれる。豎旗山が同じような高さになり、その背後に金瓜石の山々も望める。灣潭竹子山から坪林へ続く山々も見える。草の道を数分のぼり、右に鶯子頂山への道が分岐する。そのすぐ上が鶯子嶺頂上だ。11時36分、灣潭第二登山口から約二時間の道のりである。

草に囲まれた鶯子嶺山頂、三角点基石の周囲は草が刈られている
山頂から海側を見る、海上には龜山島,左の山は叢雲山
山側のパノラマ、灌木のすぐ右が豎旗山その右に橫山三方向山、間に金瓜石の燦光寮山、草山が遠くに見える
三角点基石での筆者
鶯子嶺頂上はなだらかで結構広いが、草に囲まれている。幸い最近草刈りが行われたようで、二等三角点基石の周囲は草がない。蘭陽五名山の一つに数えられることに恥じない、360度の展望ができる。蘭陽平野は勿論、亀山島が少し雲を頭にたなびかせが海に浮かんでいるのが見える。海のすぐ近くの山は六月に途中撤退した叢雲山である。その奥には桃源谷の灣坑頭山、その左は横山から三方向山への稜線だ。晴天下の頂上は暑いので、わきの木の下でゆっくり食事を取りながら休憩する。心配だった道が問題なかったので、ほっとする。しかし、それは少し甘かったようだ。

鶯子嶺からの下り道、左に太和山が見える、海上には龜山島
草の間に補助ロープの道が下っていく
約50分ほどの休憩の後、下り始める。道脇の灌木に取り付けられた藍天隊道標の方向に歩き始める。草が押し倒されて誰かが歩いたように見える。それを下ってみる。しかし、草の下に踏跡がなく、様子がおかしい。先ほど休んだ別の灌木わきの先に道があるようで、そちらに戻って進む。果たしてこちらが登山道であった。草の下に踏跡が続いている。草間なので、標識リボンは結んでないがしばらく進むと、灌木に付いている。先ほどの道のように見えた草が倒された踏跡は、おそらく最近登山者が、藍天隊道標が示している先ほどの方向に強引に下っていったのだろう。

下り道から見る蘭陽平野、手前は頭城の街
手前に坪溪山への尾根すじが見える、右の谷を挟んで右に太和山、奥は叢雲山
打鐵寮山・坪溪山への分岐、こちらも草深い道
前方には、これから行く太和山とその更に遠く、今日の最終目的地梗枋魚港のある龜山の集落が見える。太和山の左には、谷を挟んで鶯子嶺から坪溪山への尾根が伸びている。草の道は、直射日光が強いが風も吹いているので、それほど暑さを感じない。12時45分、頂上から約10分で、左から草を押し倒したあとが合流する。これは先ほど頂上で別方向に下って行った部分につながるのか。この辺りで、草と灌木との間を行くようになる。すぐ左に、打鐵寮山、坪溪山への道を分岐する。更に下って行くと、草はなくなり森の中を進む。結構勾配があり、足を取られる。補助ロープも現れる。

礁水坑山への分岐点
13時20分、頂上からくだること約45分、礁水坑山への分岐に来る。左にとり、進む。道に入ると今までより踏跡が細い。狭い尾根上部分を登っていく。残っている標識リボンは、だいぶ年季の入ったものが多い。あまり歩かれていないようだ。密生した草が現れ藪こぎをする。13時45分、分岐にくる。右に行くと礁水坑山への道に続く。そちらは踏跡がすこしわかるが、太和山方向へは草が密生して道が判らない。方向を見定めて、草の間を強引に進む。すると、別の分岐が現れる。ここは、太和山の麓を沢沿いに進む道との分岐だが、その道もはっきりしない。

藪こぎをして太和山へ進む、背後の山は鶯子嶺
太和山への尾根沿いの道に入り進む。踏跡ははっきりしない。時々現れる標識リボンが頼りだ。尾根上のピークに登る。前方には太和山の小屋が見えるが、その手前にはいくつか小ピークがあり、まだまだ遠い。草の部分から振り返れば、鶯子嶺がすでに高い。稜線をほぼ忠実に追っていく。雑木林の中に杉の大木が現れ始める。これが最後のピークで、大きく下った後急坂を登る。14時48分、やっと太和山頂上(標高705m)に着いた。この僅か0.8kmの尾根道に1時間半を要している。ここまでは不人気ルートであるが、これほどの状態であるとは予想外だった。藍天隊が二年前に道の整理をした後、あまり歩かれず自然に戻ってしまったようだ。アクセスもあまり便利でない場所の山道は、人気ルートでない限りこうした藪こぎは不可欠であるし、時間もかかる。

太和山頂上の五檔祖廟
これから先の道は、状態がよいのでホッとする。しばし休憩し、風景を眺める。二度目の来訪だが、前回は眺めていた鶯子嶺からやって来たので、感慨無量だ。15時8分、頂上から下り始める。格段に状態の良い道は気楽だ。急坂もあるが、実に歩きやすい。遠くに梗枋魚港が望める。鶯子嶺頂上からよりは、近づいているがまだまだ遠い。15時30分、新しい土地公の分岐に来る。左に取り坪溪古道を目指す。少し登り返し、尾根を巻いて進む。約10分で、象寮古道へとの三叉路に来る。立派な地方政府による道標がある。この道標では、今歩いてきた道は石硿子古道と記してある。

太和山の下りから見る、筆者の指しているのは目的地梗枋港/龜山
坪溪古道開始点の道標
坪溪古道は、道幅のひろいゆったりとした道である。雙溪の古道の中でもとても美しい道の一つだ。時刻は16時近いが、こうした道はゆっくり歩きたい。夕陽が杉の木立の間から、路面に差し込む。15時54分、沢を越す。沢巾は広いが、今は渇水期なので水量が少なく敷いてある石の上を歩けば、靴を脱がずに越せる。沢きわでしばし休む。その先、木製橋を渡りすぐ右に梗枋古道が分岐する。大きな道標は叢雲山を示している。

とても美しい坪溪古道
渡渉部分、水量が少ない
草に埋もれた梗枋古道を峠に登る
右にとり沢に下りる。ここも飛び石をつたって難なく渡渉し、対岸から峠に向けて登る。沢から約10分、16時17分に峠の十字路に着く。左に行けば叢雲山だが、分岐から先は草の中で踏跡もさだかでない。これを進むのは大変だろう。右には、尾根を坪溪古道入口のまで行く山道があるが、こちらも草に埋もれている。

梗枋古道の上部





直進していく梗枋古道も草がかぶっている。草の間を少し進むと、坂が急になる。この古道は、石空古道や象寮古道などに比べると人気がもう一つで、あまり歩かれていないようだ。そのうち、道は涸沢の道となる。ところどころ深く彫り込まれていて、歩きにくい。数分下り、涸沢から離れる。そのうち大きく左に曲がり込み、16時40分涸沢を越す。そこから少し先からは、道幅が広がり古道の趣きとなる。16時47分、道が大きく左に曲がり込むところで、右に道が分岐する。こちらも標識リボンがあるが、左の道にもある。地図を確認して、左に進む。緩い下りを行き、右に大きく曲がる。10分ほど下ってくると、道が左に下っていく。標識リボンはこちらに付いている。右からも道が合流する。先ほどの分岐を右に取っていれば、ここへ近道で来たのかもしれない。
道幅が広がり、古道らしくなる
新開拓の果樹園で休憩する
コンクリの階段が現れる。左に廃屋を見る。17時4分、樹木を取り除き、苗木を植えてある場所に出る。正面には、谷の間から海が、そして龜山島が望める。島の左右には、様々形の雲が浮かんでいる。太陽はだいぶ傾いてきて、谷はかなり暗くなってきている。空には、月がかかっている。中秋の名月は三日後である。ここで一休みする。最終点、亀山駅もそう遠くない。

空には月が掛かっている、島の左右には雲が並んで浮かんでいる
山門の向こうに太和山がシルエットになっている
十数分休んで、また下り始める。果樹園の間のコンクリ階段を下る。先ほどから聞こえていたスピーカーからの音が大きくなる。17時27分、古道入口につく。入口のすぐとなりは頭城農場で、音はそこで行われているイベントの放送だ。車道を下る。振り返れば、今下りてきた古道が越える山並みが屏風のように左右に伸びている。下ること10分、福徳宮土地公廟がある。わきにテーブル・イスや水道があるので、そこで一休みして着替えをさせてもらう。更に下り、鉄道と川を渡る。山門より振り返れば、3時間前に立っていた太和山が、遠くに山のシルエットの左端に見える。濱海公路を亀山駅に向かって歩く。だいぶ暗くなってきた。18時18分、亀山駅に着く。上り列車がちょうど出たところで、次までは一時間ほどある。近くの海鮮料理店で食事をし、19時半過ぎの区間電車で帰京した。

 上り区間電車がやって来た
道の状態が良くなかったので、予定より1時間以上多く要した。休憩込みの行動時間は約9時間、距離は約12kmである。鶯子嶺は、礁水坑山を越えていく道であれば、おそらくこれほど悪くはないと思う。太和山は、多く登られている一般路である。しかし、この二つの山を縦走する登山者は、明らかに多くない。藪こぎや長時間の道探しなどが苦労でなければ問題ないが、一般的な道ではない。困難度は、この部分に限ってクラス5の道、その他はクラス2~4である。体力的にはクラス4だ。考えてみれば、雙溪駅でF811バスに乗れずタクシーで向かったので、出発が早くできた。もし遅ければ、予定コースを歩けず途中で下山もあったかもしれない。見えざる力があったのか。

0 件のコメント:

コメントを投稿