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2015-03-01

2015年2月25日 關西八寮古道 - 石門山縱走 樟脳の村を繋いだ古道

石門水庫から望む大竹坑山(左)と太平山
八寮古道の峠、左が八寮へ下がっていく道、右は稜線道
新竹県の関西鎮は、日本的な響きのある名前である。もともとの台湾語の音が日本語の関西に近いので、大正九年の行政区画整理の際に関西という名称がつけられそれが今まで続いているということだ。今は第三高速道路のインターチェンジもあり、山に遮られた過日の交通不便を思い知ることは難しい。しかし、当時は主要な産物の樟脳を運び出すにも峠を越えていく必要があった。龍潭と樟脳の村八寮をつなぐ道が、八寮古道である。当時は、いくつかの村があり、今でも四寮がある。十寮もあったそうだが今はない。八寮古道は、また十寮古道とも呼ばれる。

龍潭澹園から南へ、山を歩いて石門水庫へ
500m台の稜線歩き
八寮古道が越えていく峠は、以前訪れた石門山から南西に伸びる山並みの鞍部にある。今回の山行は古道を登り、峠からは石門山へ縦走するルートである。他の古道がそうであるように、当時は八寮古道は重要な道であったが、自動車道路ができた後は忘れ去れた。八寮古道の南側は、まだネット上の記録があるが北側の龍潭への部分は殆どない。唯一内容があるTonyの登山記録は十年前のものである。その記録をたよりに行ったが、途中は草が深くあるべき分岐もわからず、別のルートから稜線に上がった。はじめに稜線上を八寮古道のまで往復し、そこから十寮山、大竹坑山を越えて石門山へ縦走した。石門山からは石門水庫に下りた。ニュースで知っていたが、今年は雨量が少なくダムの水位はかなり低かった。給水制限の理由がうなずける。

龍潭と關西の間の山を歩く
亞聯客運1728番バスで台北を出発
龍潭は、台北から行く場合は第三高速道路に近いので、自動車で行けば一番便利だ。公共交通機関では、高速道路バスがある。亞聯客運の新竹行き1728番バスが、自宅近くのバス停を通り龍潭へも立寄るので便利である。龍潭の街から、八寮古道の登山口までは約10kmほど距離がある。そこでできるだけ近くまでということで、5049番バスで澹園へ向かった。ただ、このバス便は一日三便だけである。桃園客運龍潭バスターミナル7時35分発の便に間に合わないと、歩くかタクシーしかない。そこで自宅を6時半に出発、39分にやって来たバスに乗る。バスにはすでに前のバス停で乗車した同行者のBさんが乗っている。乗客はまだ我々二人だ。

県道から見る石門山
バスは羅斯福路を進んで乗客を乗せ、安坑インターチェンジから高速道路に入る。龍潭には7時35分ギリギリに到着、バスを下りて通り対面のバス停に向かう。5049番バスはすでにターミナルから通りにでてまさに発車のところで乗車できた。次回また行くことがあるかわからないが、1728番バスは一便前ので行くほうが良いだろう。5049番バスは20分ほどで、終點澹園につく。住宅の前にポツンとあるバス停である。道路の反対側は農園だ。支度をして8時に出発する。先に65号県道を進む。茶畑の向こうに石門山の姿が霧の中にかすかに見える。

台湾植物薬園入口


省道3乙線を渡り、対面の産業道路を進む。入口には小粗坑古道の道標がある。小粗坑古道を左にわけ、道は登りぎみになる。粗坑窯を過ぎる。建物の外にはたくさんの大小陶磁器が置いてある。8時32分、右に台湾植物薬園の入口がある。車が入れないように扉が閉じているが、Tonyの記録によればこの先から古道が始まるはずだ。扉脇から入り進む。数分道なりに登り、薬園の建物が集まる場所に来る。そのうち車がやって来た。この薬園の人のようだ。神農養生家の看板が付いている左側の一番下の建物の対面にコンクリ階段がある。これが古道入口だ。

土地公
道に落ちているスターフルーツ
入ってすぐ左に土地公の祠がある。この土地公はどのような由来で造られてのかは判らないが、他の古道脇でも見るものと同様の石造りのものである。もとの階段にもどり登っていく。廃棄された小屋が並んでいる。階段がきれ土の道になる。そのまま進むと、道の真中に建物が建っている。Tonyの記録には記載がない。しかし、それ以外に道もない。建物の中を通り過ぎ、反対側の出口すぐ前にある分岐を右にとり、登っていく。つづら折りになって登る道は、Tonyの記録にある。どうやらこの建物は、この10年間の間に新たに建てられたようだ。

雑草に覆われた古道
送電鉄塔脇をゆく
スターフルーツ(楊桃)が道に落ちている。見上げればたくさん木に実っている。誰も収穫しないようだ。ステンレスの水タンク脇を過ぎると、道の様子は俄然悪くなる。ほとんど誰も歩かないようで、雑草が行く手を塞ぐ。古ぼけた藍天隊の布製標識リボンがある。どれだけ以前のものなのか。入口から約30分ほどの登りで、前方にトタン屋根の建物が見える。壊れた木製の門もある。門をくぐると別の道に合流する。左に取り進む。送電鉄塔の下をゆく。前方から土地の人がやって来た。尋ねると、草深いが峠を越えて道があるという。ステンレスタンクの脇を過ぎる。このあたりに右へ下がっていく道があるはずだが見つからない。

展望台からの景色、中央の建物は崑崙藥用植物園、右の山は石門山、遠くは桃園方向だが霧で見えない
廃棄されたバンガロー
大きな建物が左に現れ、その脇をさらに進むと左から舗装路と合流する。桜が咲いている。この道をとりあえず進む。少し行ったところの右に、踏跡が右に入っていく。確認してみると下っていくように見えるが、はっきりしない。道をさらに登っていく。左下には、崑崙藥用植物園の建物が見える。石段が右側にある。どんなものか登っていみる。尾根上にあがりその脇にこれまた廃棄された小屋が並んでいる。以前はバンガローとして使われていたようだ。数戸の小屋の先には展望台がある。登ってみる。幸い霧が少し晴れて、石門山が望める。その左前方には桃園方向が見えるはずだが、霧で見えない。

泉仙殿、この少し前に山方向への道がある
稜線上分岐、鉄門の向こうから来た、右は十寮山へ続く
もとの道に戻り進む。そのうち下り気味になり、その先に泉仙殿がある。野良犬が数匹いる。右に道が分岐して山の方向へ進む。この道を取って歩く。少し回りこみ、10時3分に稜線の分岐に着く。鉄の門がある。出発点澹園から二時間である。八寮古道は前半半分しか歩けなかったので、とりあえず峠に向かって稜線を下る。まもなく峠に到着する。ここは稜線道との十字路になる。右に下っていく古道は、そこそこ幅がある。反対側八寮側は、狭い谷に下っていく。標高440mと記されている峠には、もともと大正年代に建てられた当時の新竹州新竹郡關西庄十寮と大溪郡龍潭庄を分ける境界コンクリ柱があったそうだ。しかし、今は新しい林務局の柱が建っている。どのような事由で置き換えられたのか知らないが、古跡がなくなるのは残念だ。

十寮山頂上
昭和四年の基石と筆車
峠から道を先ほどの分岐へ戻る。そこから急坂が始まる。道は雑木林の中を進む。そこそこ歩かれており、状態はよい。先ほどの八寮古道とは大差だ。10時30分、十寮山頂上(標高538m)につく。頂上には昭和四年と刻まれた基石がある。これは当時のもののようだ。反対側には内務局と刻まれている。しばし休憩する。

稜線上を大竹坑山へ進む
大竹坑山頂上、左に水槽が見える
稜線を進む。下って行き送電鉄塔を過ぎる。その先倒木のところから右に折れて稜線を進む。直進する道はあまり歩かれていないようだが、これは直接山腹を仁和道路へ続く道だ。稜線上には岩の狭い部分も現れる。11時、大竹坑山(標高550m、別名崇壢山)につく。周囲は茅藪だが、綺麗に刈られている。今年1月25日付けの新しい山名板が取り付けらている。桃園鐮刀隊が最近この稜線道を整理したようだ。こうしたボランティアのお陰で、楽に縦走できる。頂上の脇には何故か水槽がある。

仁和道路上の石門山登山口
石門山への道から分岐部を見下ろす
数分くだっていくと、仁和道路が現れる。この道は、時々車が通り過ぎるが気にならない。左に下っていく。11時15分石門山登山口に着く。わきには太元九龍門總會の石碑がある。入口から広い車道をわずか二、三分進むと、左に山道が登っていく。これは、小粗坑山へ続く道だ。急な山道を登る。11時27分、小粗坑山頂上に着く。山道を下り11時35分、車道へ下りる。ここは、小粗坑古道の分岐でもある。道の脇に休憩所もある。

急坂を石門山へ登る









ここから、石門山への山道が始まる。石門山は多くの登山者が登っているので、先ほどの山道とは土の道だがレベルが違う。急な坂を上り詰め、11時46分に頂上に到着する。二度目の訪問だ。小百岳に選ばれているだけあって、平日だが数名の登山者が休んでいる。今日前半の山道とは対称的だ。ベンチに座り食事をとり、ゆっくりと休む。午前中は天気が良くなるように思えたが、雨は降らないものの霧は晴れずに展望はない。寒暖計は16度を示している。

ハイカーの多い石門山頂上
夫婦岩
12時10分、太平山に向けて歩き始める。石門山は道が多い。左の道を下る。夫婦石を通り過ぎる。ただ、この道は以前歩いたことがない。確認するとこれは直接麓に下る道で、少し戻り右に道を進む。労工育楽中心への道の鞍部に着く。稜線上を進み、景春歩道の鞍部を過ぎる。右に太平山を巻いて環湖公路へ続く道をわけ、急な斜面を登る。黒の子犬が下ってきてすれ違う。12時28分、大平山の頂上に来る。鉄塔の脇を過ぎ、右に道をわけ好漢坡の上部にくる。この道は急坂が続くので好漢坡と呼ばれている。日本ではさしずめ男坂といった名前の坂道である。土の道は滑りやすい。補助ロープもある。13時、坂道を下りきり山腹をやってくる道と合流する。左にとり、13時12分石門山登山道北端口に下りきる。

好漢坡
楓の林
石門水庫から龍潭を通る5055番バスが14時27分に発車する。まだ時間が十分ある。車道を右にダム堤防へ向かう。ゆっくりとした上り坂が続く。この周辺は楓林である。まだ葉が生えておらず、枝のままの姿だ。20分ほどやってくる。展望台がある。螺旋階段を最上階まで登る。ダム堤防の向こうに溪洲山が控えている。石牛山はわかるが、遠くの山はぼんやりしている。ダム工事の殉職者記念碑を過ぎ、堤防の上を進む。右の湖面ははるかに下で、水位が通常より数メートル低い。台北市ではあまり感じないが、今年は干ばつである。給水制限も行われている。堤防上から振り返れば、歩いてきた大竹坑山と太平山が並んでいる。堤防を渡りきり14時過ぎ、バス停に到着。14時30分、5055バスはやってきた。龍潭ではあまり待たずに台北行き1728番バスに乗り継ぎ、16時過ぎに台北に帰ってきた。

展望台上からの眺め
石門水庫
歩行距離約12.3km、行動時間6時間である。八寮古道を全部歩けなかったのは残念だった。しかし、ネット上にほとんど資料がないというのは、ほとんど歩かれていないことの証であったわけだ。峠から下れば様子は判るだろうが、それはチャンスが有ればまたの機会である。十寮山や大竹坑山は、最近桃園鐮刀隊が整理したこともあり、状態はよい。クラス3である。石門山付近はもっと状態がよい。体力的にはクラス3である。石門山以外は、人気のある場所ではないが、昭和四年の基石など日本時代の名残がある。峠の境界柱がなくなってしまっていたのは、実に残念だ。

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