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2017-10-30

2017年10月25日-30日 中央山脈安東軍山‐能高山縱走 水鹿の大草原を行く

標高3000mの草原と湖沼の山岳、奥に安東軍山、手前は屯鹿池。右遠くは南三段の山々
台湾島の背骨を構成する中央山脈は、北から南まで340キロの3000m級の山並みが続く。そのほぼ中央には、日本時代に開いた能高越嶺道が中央山脈を乗り越えて台湾の東西を結んでいる。その峠のすぐ南には能高山がそびえる。1895年日本が台湾を得たあと、富士山よりも高い山としての新高山(玉山)、その次に高い次高山(雪山)と合わせ、台湾三高と称された。

能高古道から見る朝の能高山主峰(尖った中央の峰)と左遠くに能高山南峰
尖った姿はひときわ目立つが、標高は3262mで台湾の高峰群のなかでそれほど高いわけではない。しかし、台湾の山岳史にとって、また日本の近代史においても重要な位置を占める。台湾接収後まもなくの1897年(明治30年)に台湾の地理や資源を調査するため、中央山脈を横断する軍隊探検隊の一つ、深堀安一郎隊がこの地で山越えをした際原住民に殺害された。その後台湾東西を結ぶ中央山脈横断道路として、能高警備道が1917年(大正6年)に開かれ、日本の統治が浸透していく。しかし、1930年(昭和5年)に日本統治時代中の最大悲劇、霧社事件は能高山の足元で発生した。さらに戦後は、日本時代に企画されたが実行されなかった、台湾東西送電線が、能高警備道にそって建設された。能高山は、そうした歴史の変動をずっと見守ってきた。

縦走五日目、能高主峰から歩いた山々を見る、左から能高南峰、光頭山、白石山、安東軍山
能高山の南へ3000m超の峰々が続く。能高主峰よりも高い能高山南峰(標高3349m)をこえると広い草原の山々が展開する。光頭山(標高3060m、禿山の意味)、白石山(標高3110m)そして安東軍山(標高3068m)と続いていく。この五座は台湾の百岳に選ばれている。これら五つのピークを縦走していくルートは、能高安東軍ルートと称され、屏風山奇萊北峰からカウントされるいわゆる中央山脈の北三段に属する。安東軍山をこえたあとももちろん3000m峰があるが、百岳に選ばれていないこと、アクセスがさらに大変なので歩く登山者は少ない。

水鹿@白石池
日本アルプスにはない大草原は、台湾高山で特徴的な玉山箭竹(ニイタカヤタケ)がびっしり山肌を覆っている。風の吹き曝しなど条件の悪いところでは、高さもくるぶしぐらいの竹だが、条件の良いところでは背丈よりも高く、縦走中は藪漕ぎをかなり余儀なくされる。広い稜線上には、大小の池が出現する。雨水がたまっただけの池は、茶色に濁った水だが、沢が流れ込みまた流れ出す池は透明の美しい宝石の湖だ。これらの湖には、台湾最大の草食動物水鹿がやってくる。水鹿は夜行性なので、湖わきのテント場で設営していると、キョンという鳴き声で日暮れ後近くにやってくる。特に保護されているので、狩猟されることもなく、人を恐れない。この高原は、水鹿の楽園だ。

南側の奧萬大から反時計回りに屯原へ縦走する
六日間の歩行高度
筆者が若いころの日本南アルプスは、主稜線へのアクセスには二日を要したところも多い。この能高安東軍縦走路も同じだ。特に今回は、一般的に北から南へと進むルートを逆にたどったので、入山して二日目の夕方に初めて主稜線に出た。幅広い萬大南溪を膝までの主流水を渡渉して一泊、さらに支流でも何度も渡渉し、やっと最後の主稜線への登りに取りついた。その後縦走に三日、そして下山に一日を費やした。六日とも天気がとてもよく、展望がよかっただけでなく、進行にも大いに助けになった。全行程中山小屋は全くなく、テント持参の登山である。まさに、今のように便利になる前のワイルドな日本アルプス登山の醍醐味を味わえる。
台湾中央山脈のほぼ中央に位置する
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第一日 10月25日(水曜日) 奧萬大 - 萬大南溪 - 溪底營地

奧萬大から萬大南溪にそって第一支流の溪底キャンプ地へ
一度登りてまた下り、沢沿いのキャンプ地へ
民宿を4時半に出発
今回の縦走は、前日夕方台北を出発、南投県廬山にある民宿に前泊したあと、山中で五泊六日の山行である。筆者もいれて六名パーティは、25日朝4時半に民宿を出発、5時半に登山口奧萬大森林遊樂區に到着する。紅葉で有名な奧萬大だが、まだ少し時期が早いようで、葉はまだ色づいていない。5時45分、ビジターセンターから歩き始める。六日分の食料やテントを入れたザックは17㎏、結構重い。空も白んできた遊楽区内の整備された歩道を進んでいく。この時間帯には、遊楽客は全くいない。

奧萬大ビジターセンター前、これから出発
奧萬大吊橋から見る萬大北溪と主稜線
階段道を下り、萬大溪の岸近くを進む。衣服調整の小休憩後、また右岸の丘を登り返す。野鳥観察台(賞鳥平台)と呼ばれる広場を通り過ぎ、6時35分奧萬大吊橋のたもとに着く。能高南峰から白石山の西側から水を集める萬大北溪をこえる吊り橋はかなり高く長い。吊橋上からは、左に萬大北溪の奥に主稜線が望める。かなり高く遠い。あそこを歩くのはあと三日後だ。吊橋を過ぎ、左右に分かれるうちの右の道を行く。6時55分、奧萬大遊樂區の歩道が終わり、いよいよ山道となる。有楽客は立入り禁止、の看板がある。

山道の入り口
松風嶺を過ぎ馬軍山への分岐、右に進む
山道は、草深い道で有楽客も入ってこないだろう。いよいよ本格的な山登りである。アカマツ林のジグザグ坂を登る。ザックの重さをひしひしと感じる。半時間ほどの登りが過ぎる。ここは地図上の松風嶺だ。しばらく下り、7時40分分岐に来る。直進する道は馬軍山へ続く。地図ではここを左に降りると奧萬大北溪溫泉(野風呂)に続くようだ。縦走路の案内看板と黄色の金属製道案円柱がある。50.4Kとの距離表示がある。順走の場合は、もう一つの登山口屯原からの距離となる。我々は、これからこの距離を歩くことになる。

遭難の碑
休憩後山腹の道を進む。アカマツの人工林の中を行く。この辺りは以前林業が行われていた。森林遊樂區は、以前林業が営まれていた場所を利用してできた場所である。途中、ちょっとした土砂崩れの場所を過ぎ、8時半第二越嶺点につく。休憩をとる。わきには、以前疲労困憊し沢に流されて遭難した登山者の碑がある。台湾の山岳は、高く谷は深い。大雨が降ると日本と同じように鉄砲水も発生しやすい。

倒木わきを下る


少し下りまた山腹をまいてく。大木が倒れて沢にかかっている場所を通過する。補助ロープがあるので問題はない。最後に上り返し9時45分、第一越嶺点につく。第二、第一と数字が減っていくのは、逆行しているからだ。実際、登山者のほとんどは順走しているようだ。休憩後、少し下りまた登り返す。結構大きながけ崩れの上を巻く。下方には、幅の広い萬大南溪が谷間に流れる。最高点を過ぎて急坂を下る。10時50分、下り切り沢を越す。ここは第四支流合流点だ。

松の人工林を行く
一度萬大南溪の河原へ降りる
鉄皮工寮キャンプ地近く
道は右に白い幅広い萬大南溪の右岸を行く。10分足らずで、右に河原に降りる。河床キャンプ地となっている場所だろう。そのすぐ先に左にまた登る道がある。河原からまた、右岸台地上の道を進む。11時15分、沢をこす。ここは第三支流合流点だ。登り返したところは、鉄皮工寮キャンプ地だ。以前伐採植林作業を行うための作業小屋があったところだろう。当時の建物に使われていたと思われる錆びたトタン板がある。周囲の森も人工林のようだ。黄色い道標の場所で台地から右に下っていく。下り切ったところは第二支流合流点だ。12時25分、ここでゆっくり昼食をとる。

第二支流合流点から河原に降り、河原を歩く
広い河原、この近くで一度渡渉する、水は濁っている
一度目の渡渉
ここからは、萬大南溪の河原を進む。地図では、巻道(金杏真路)があるが天気も良いし河原を進む。支流を渡渉し、広い河原に降り立つ。本流は、濁った水だ。萬大溪は、台湾最長河川、濁水溪の上流になる。濁水溪の名前の由来が、この流れを見ただけで納得できる。合流点から石のごろごろする河原を進むと、流れは右岸いっぱいに寄って流れているので渡渉が必要だ。濁っていて、沢底がどれだけ深いのかわからない。できるだけ水流幅が広く、勢いの少ない場所を選んで渡る。長靴を履いているが、ここは膝まで水をかぶる。長靴を脱いで慎重に沢を渡る。

下流方向を見る
二回目の渡渉
さらに河原を進んでいく。20分ほど歩くと、左に第一支流の合流点に来る。道は第一支流にそって進む。また本流を渡渉しなければいけない。ところがこの付近は流れの幅が先ほどの渡渉点よりも狭く、流れも速い。上流方向に流れが穏やかな場所がないか探すが、同じような感じだ。この合流点近くを渡るしかない。意を決して渡ることにする。水は先ほどよりも深く、強い流れで膝の上まで水をかぶる。水流の逆方向に斜めにわたっていく。全員が無事に渡りきり、支流のわき台地へ登る。第二支流合流点からの河原歩きは、1時間40分ほど、標準時間よりも1時間近く多く要した。

第一支流の合流点近く、左に本流の河原が見える
支流を渡渉する
14時50分、第一支流沿いの進む。支流の左岸から右岸へと渡り登っていくと、第二支流合流点からやってくる高巻道(金杏真路)の道標を見る。15時30分過ぎまた左岸へ渡る。急な坂を上ると、そこが溪底キャンプ場だ。時間が早ければ、さらに登り第二獵寮キャンプ場へ進むことも考えたが、ここで設営することにする。

溪底キャンプ場で設営
今日は、途中猟を終えた原住民の二人とすれ違っただけだった。テントを張り、食事をとる。約10時間の行動時間、13㎞ほど歩き高度は1100mから1600mに上った。累計登攀は約700mである。

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第二日 10月26日(木曜日)溪底營地 - 第二獵寮 - 第一獵寮 - 三叉路營地

第一支流の溪底キャンプ地から沢沿いに上り、稜線に登る
登り中心の歩き
尾根を登り山腹を進む
今日は稜線まで登る。標高約2900mの稜線までは標高差1300mだが、途中には沢沿いの渡渉場所もかなりあり、距離は短いものの単純な登りではすまない。できるだけ早く出発する。撤収にすこし手間取り、予定より30分遅れの6時に歩き始める。はじめに上り少し下がった後、長い登りが始まる。約300mほどの高度を上げていく。途中で休憩し、約1時間20分ほどで道は山腹を進み始める。8時10数分ごろ、道は大きく下りはじめまた登りかえす。ここは地図上の崖崩れの部分のようだ。かなり前に発生したもののようで、今は草が生えこうした下りと登り返しがなければ気づかない。8時30分、平らなテントが張れそうな場所で休憩する。

第二獵寮キャンプ地付近の沢
沢をこぇる
沢を過ぎたあと右岸の大石の道を登る
10分ほど下り気味に行くと沢をこえる。地図とは異なるが、道標は第二獵寮(狩りのために作った小屋、今はなにもない)となっている。緩やかな斜面の道を進む。先ほどの場所から約20分ぐらい来ると、また広いテント場がある。幹の張紙では、ここが第二獵寮と示してある。こちらのほうが地図の位置にあう。すぐに沢に降りる。水量はそこそこあるが、長靴だとそのまま越せる。対岸(右岸)を少し進むが、先がわからない。探すとケルンとマーカーリボンがあった。対向側からくると問題ないのだが、逆行するとわかりにくい。約20分ほど、大石のごろごろする道を登り、また沢に降りる。

二回目の渡渉で左岸に戻る
ザックをおろして濡れた大石を登る
休憩をとる間に、沢の渡渉点を探す。右岸の大石などを登って様子を見るが、流れが急で水深もある。こちらは無理だ。もどり下ってみるとケルンが積んである。どうやら先に少し下がったところで渡り、左岸の大岩を登るようだ。大岩は高度差があるので、ザックをおろし、人が別に登ったあとザックを引き上げる。その先は、大きながけ崩れの下部を巻く。沢から離れる取り付き点で小休憩する。時刻は10時22分、すでに四時間歩いた。

ヒノキの巨木
10時35分、休憩後左岸の道を登り始める。そのうちヒノキの巨木群が現れる。山深いこの場所は、伐採が大変で残されたのだろ。11時30分、また沢に降りる。ここも大石の落差が大きく、ザックをおろして別々にこす。沢を渡ったところで休憩する。地図上にはキャンプ地となっている場所は、確かに一、二張はできそうだ。天幕シートが残されている。

ザックをおろして沢に降り渡渉する
はらわたが開いた小鹿の死体、自然は冷酷だ
昼食をとり12時15分に歩き始めてまもなく、異臭がする。道脇すぐに小鹿の死体が横たわっている。死後それほどでないようだが、はらわたがのぞいている。しかし襲われて食われたという様子ではない。12時31分、再度沢を渡り左岸に、そしてまたすぐ右岸にとりつく。滝があるようでこれを高巻きするように急登して沢に降りる。沢なかの石を乗り越え進み、12時50分左岸にわたって登る。13時15分、第一獵寮に来る。ここが最後の水場だ。予定の三叉路キャンプ地は、水がない。そこでここから水を持ち上げる。各自夜と明日朝の必要量を補充する。

右岸からまた左岸へ渡る
沢底を行く
再び左岸へ
第一獵寮の対岸、道標がある
沢から離れ急登が続く
沢を右岸にわたり小休憩の後、13時25分稜線に向けて山腹を登り始める。ここは標高2400m弱、2900mの稜線まで高度差500mの急登だ。山腹にとりつき、30分ほどで支稜にのる。途中、協作のボッカ付き登山グループと行違う。人数は10名からはいるようだ。5日前に屯原から出発し、七日で歩くとのこと。商業ベースの登山隊だ。ところどころロープの急坂が現れる。沢を何度も渡ってやってきた後の急登はきつい。30分おきに休憩を取り進む。林相が次第に変わり鐵杉(タイワンツガ)が多くなるにつれ、森底にはニイタカヤタケも現れる。背丈よりも高い部分多く、藪漕ぎをしながら登っていくのは、ことさらつらい。15時25分、勾配が緩くなってくる。標高差はあと数十メートルだ。

急に視界が開ける


16時08分、ヤタケから出て突然前方の視界が開ける。安東軍山がすぐ右に見える。雲海の向こうには干卓萬の山並みも見える。緩やかになった道を進む。眼前には、草原の丘が続いている。16時21分、三叉路に到着。右に少し行き、小池のあるキャンプ場に到着する。陽はだいぶ傾いてきた。池の脇に設営し、食事をとる。今日は歩行距離は6㎞強と少ないが、9時間半ほどかかっている。累計登攀高度は約1400mである。沢沿いの道と急登の道は、やはり時間がかかる。縦走の主稜線にたどり着くまで丸二日を要したわけだ。

三叉路キャンプ地、池の向こうは安東軍山
池の向こうに月がでた
17時半ごろ、水鹿が現れ始めた。水鹿は人を恐れないだけでなく、食料も奪うことがある。そのため、ザックや靴などもすべてテントの下に入れる。夜中目覚めると、外で多くの鹿が動いているのがわかる。そのうちメンバーの一人が大声で叫んだ。彼のザックは完全にテント下ではなかったようで、鹿に引きずられていった。気がづくのが早かったので、取り返したがそれでも即席めんを二、三個とられてしまったようだ。










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第三日 10月27日(金曜日)安東軍山往復 - 屯鹿池 - 萬里池 - 白石山 - 白石池營地


安東軍山往復の後北へ縦走
比較的楽な歩き
朝陽に黄色く染まる草原、その向こうに安東軍山
今日は、朝まず軽装で安東軍山へ往復し、テントを撤収したあと屯鹿池と萬里池を過ぎて白石山に登り、下って白石池で設営である。5時に起床、朝食をとったあと6時過ぎに出発する。すでに明るく、ヘッドランプはいらない。歩くにつれて、草原の色が赤銅色から黄色に変わっていく。道脇のヤタケは低く、道を追っていくのは快適だ。30分ほど登り、振り返ると下方にテント場が見える。

登りの途中、背後にキャンプ地が見える
枯れたヤタケの間を登る
枯れて葉が落ちているヤタケを過ぎる。ススキの穂が風になびく。稜線はすでに秋が訪れている。最後にちょっと下り登り返し、7時3分安東軍山頂上(標高3068m)に到着する。一等三角点の頂上からは、360度遮るもののない展望が広がる。北側には、これから歩いていく白石山から能高主峰の峰々すべてが見える。大きな山容の能高山南峰の右には奇萊山主峰と北峰、北峰から延びる東稜からは、北一段の中央尖山が頭をのぞかせている。東側は、太平洋が朝陽を反射している。南側を見れば、まだ見たことがなかった六順山から丹大山へと続く中央山脈の秘境、さらにいわゆる南三段の山々が横たわっている。西側は干卓萬の山々が近い。

山頂から南を望む、中央山脈が南へ続く
北側を望む、これから歩くピークがすべて望める
安東軍山をあとに縦走を開始
森の小沢で水を補給
雄大な展望に忘れていた寒さに気づき、7時20分過ぎ下り始める。往路を下っていく。7時57分にキャンプ地に到着、テントを陽に乾かせ撤収する。日向では気温は25度、寒くない。9時に準備を済ませザックを担いで縦走を開始する。まだ緑の多い草原は、ほどんど樹木がなく、実に気持ちがよい。ちょっと丘を登り森に入って下ると、沢が現れる。ここで水を補給する。

屯鹿池
また草原にでて進む。9時40分小さな池(妹池)が前方のくぼみにある。ここも少ないが沢が流れ込んでいる。池の脇をまいて進み9時50分、屯鹿池キャンプ場に着く。丘に囲まれた静かな池は、透き通った水面が青空と周囲の草原を映している。しばし休憩をとる。

萬里池へ丘を登る、背後は安東軍山
萬里池へ向けて、丘陵のような草原を登っていく。屯鹿池へ流れ込む小沢を過ぎる。この一帯は、水には困らない。途中の草原で休憩をとる。太陽が草原を明るく照らし、風が吹き抜けていく。まだ緑の多い草原は、実に爽快だ。我々はこのために、ここへやってきたのだ。11時18分、下方の谷間に萬里池が佇んでいる。名前が示すように、この池はこの縦走路中最大だ。谷間の向こうの山は白石山だ。11時45分、急坂を下り切り池のほとりに来る。ここで長い昼食休憩をとる。

萬里池がみえた、背後は白石山
密生したヤタケをくぐってキャンプ地へ飛び出る
12時40分、出発する。道は池の西側を巻いていく。周囲は背の高いヤタケが密生し、なおかつ足元は沼状のところもある。過去のGPS記録を頼りに抜けていく。霧や雨の中では、ここを通り過ぎるのはかなり大変だろう。約20分近くかかり池西側ほとりのキャンプ場につく。ここには透き通った沢水が池へ流れ込んでいる。池から白石山へのとりつきは、この沢沿いに進み道とそのすぐわきの竹藪を進む二つがある。後者をへて池の北側へまわる。白石山へあと1Kの道標を見る。

萬里池をあとにする
白石山山頂から北を望む
登るにつれて、萬里池の全体がまた見えるようになる。萬里池の西側は、結構平らな場所がある。まったく樹木のない草原の山腹を、途中二回休憩をとり登っていく。萬里池が見えなくなり、14時45分白石山山頂(標高3110m)に到着する。前方は、いったん下ってまた光頭山が盛り上がる。こちらからみる光頭山は、前方東側に大きなガレを擁し、稜線は広くて緩やかだが、あまり禿山という感じではない。その向こうには、ガスが去来する能高山南峰が続く。振り返れば朝登った安東軍山が、さらに遠い南三段の山々を背景に佇んでいる。東の谷は雲海で埋まっている。

白石山山頂から南方を見る
掘りこまれた道
15時5分、白石池にむかって緩やかな丘の道を下っていく。道は先に東方向に進み、方向を変えて北へ向かう。陽が傾き始め、斜めに差し込んでくる。途中はかなり枯れたヤタケを通り過ぎる。ところどころ、雨で削られ深くほり込まれた道が現れる。注意しないとくじいてしまう。前方の光頭山が次第に高度を増し、16時16分、白石池の前の小池を通過、更に10分ほど歩くと大きな白石池が左下に現れる。水位が低ければ水際に設営できるようだが、今日はそした広さがない。そこで、池の北側の丘へ向かい、テントを張る。風が結構強い。窪地には、ここで死んだ鹿の骨が転がっている。

緩やかな草原を下る、前方に白石池がみえてきた。ガスに隠れているのは光頭山
夕陽の中の白石池と背後の白石山
テントを張っているころから水鹿が現れ始める。設営を済ませ食事をとる。今回は、風が強いのでテント内で作る。作るといっても乾燥食がメインなので、お湯を沸かすことが主だ。池から汲んだ水も、沸かして使用する。外で小用をすると、鹿がやってくる。彼らは塩分などのミネラルを得るのが大変で、尿をなめて補給しているようだ。

安東軍山の往復も含め、10時間半の活動時間だ。距離は約12㎞、稜線上の登り下りは約800mである。昨日が厳しかったので、今日は少し楽なコースである。

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第四日 10月28日(土曜日)白石池 - 光頭山 - 能高山南峰 - 大陸池營地


白石池からピークを二つ越え大陸池へ
最左のこぶが光頭山、右の高いのが能高南峰
暗いうちに撤収、背後にはたくさんの水鹿
縦走も半分が過ぎた。距離的も約半分だ。今日は、ピークを二つ、それも後半は縦走中最高点になる能高山南峰を重荷をもって越えていく。上り下りも前日より多い。4時に起床、食事をすませて5時半前には撤収を開始する。水鹿がまだあたりに多い。オス鹿もいる。6時に出発する。

光頭山に向け草原を登る
灌木の間を登る、背後は白石山
黄色にそまる草原の斜面を登っていく。斜面から稜線の形が現れ、尾根上の灌木の間を進む。灌木は刺のあるものもあり、枝がザックに引っ掛かり邪魔をする。背後には白石山がだんだん同じ高さになっていく。7時26分、昨日みえていた光頭山直下のガレ場に着く。浸食がすすみ道が西側の灌木帯を進む。灌木の枝が切られていて、助かる。ガレ場に降り、ザレの急坂を登る。7時40分休憩をとる。ここから眺める風景は、草原のそれとは異なり別世界のようだ。

崖部分直下からガレ場を振り返る、遠方には白石池と白石山
補助ロープの崖部分
休憩後さらに急坂を登り、垂直に近い補助ロープの数メートル崖部分に来る。重荷を背負ってののぼりはきついが、注意深く足場を探し登りきる。登り切ったところは、また穏やか草原が広がる。振り返れば、昨日のキャンプ場白石池が、そしてその向こうには白石山が佇んでいる。全員が登り切るのを待ち、光頭山へ更に登る。8時23分頂上(標高3059m)に到着。三角点のわきに観音像が置いてある。左の谷間をみると、足元には萬大北溪が流れている。四日前奧萬大吊橋からは、今いるあたりが見えていたのだろう。頂上では、携帯電話も十分に通じる。それは、ここから霧社あたりが見えるので、信号が遮られずに届くためだろう。

光頭山山頂のメンバー
前方の能高南峰を目指し草原を行く
山腹には山道以外に鹿の道が目立つ
光頭山は、別名知亞干山という。樹木のない禿山で、いつしか光頭山が多く呼ばれる山名になってしまった。対向側からくれば、草原のちょっとした丘のように見え、この名前もわかるが、逆行で行くと先ほどのガレ場や西側の切れた崖が目立ち、禿山の印象は薄くなる。8時50分、頂上から歩き始める。広い丘陵を行くかのごとくである。まだ緑の草原、すでに枯れて茶色の草原、ツートーンの草原が続く。小ピークをいくつか越していく。11時、南峰南鞍部キャンプ地に着く。休憩をとる。ここは池はないが、水場が東側に降りたところにあるようだ。

まだ花の残る草原を登る
南峰がだいぶ近くなってきた
11時35分、昼食休憩後能高南峰を目指し登り始める。南鞍部は標高2970m、3349mの頂上までまだ300数十メートルの落差だ。稜線上から山腹道にとりつく。深い溝の山道部分は歩きにくい。後方の光頭山が低くなり、13時10分南峰山頂への分岐に着く。全員がそろったところで、空身で頂上に行く。ほんの二、三分で頂上に着く。頂上からの展望は、これまた素晴らしい。歩いてきた安東軍山、白石山、光頭山が並んでいる。西方向は能高山主峰、北には明日歩いていく能高古道の鞍部も見える。

南峰山頂への分岐まであとわずか、背後の光頭山が低い、その後ろには白石山と安東軍山
能高南峰山頂の筆者
南峰山頂から北を望む、前方に能高主峰、右遠くに能高古道鞍部と背後に奇萊連峰
偽ピークへ進む、左遠くに能高主峰とその手前の鞍部
背後の南峰が遠くなっていく
鞍部に向け急坂を下る
今日の大陸池キャンプ地はまだまだ遠い。大きく下ったあと、また少し登り返さなければならない。分岐に戻りザックを背負い、14時56分下り始める。左が切れ落ちた稜線を進む。一部山腹を進む。偽ピーク(能高南峰南嶺)へ少し登り返す。ここから、大きな下りが始まる。キャンプ場にはオレンジ色のテントが一つ建てられている。飛べたら大した距離ではないが、山道は遠い。西側も雲海がたちはじめた。

西側の雲海
補助ロープの下り
16時35分、補助ロープの垂直岩壁を下る。すぐ下にも別の岩壁がある。しかし、今まで歩いたところ比べても、特に困難は感じない。背後の能高南峰が黄色く夕陽に染まり始めた。17時を少し回り、主峰と南峰の最低鞍部に来る。残りはあまり多くない。最後の稜線上の登りを行く。そのうち山腹をトラバースしていく。17時半、夕陽が西の雲海の向こうに沈み、用意していたヘッドライトを点灯する。ここはそれほど良い道ではないが、幸い草の間の道ははっきりしているので、迷うことはない。18時少し前、大陸池キャンプ地に到着する。暗い中で設営する。
夕陽に染まる南峰、大陸池はあとわずか
今日は、メンバーの所持水が少なく苦労した。キャンプ地の近くに池が見えない。そこで、有志がGPSを頼りに近くの水場へ下るべく出発したところ、すぐ裏に池を見つけた。そこで今日はこの水を漉し、さらに沸かすことで用を足すことにする。食事を終え普段よりも遅く9時近くに就寝する。

陽が沈む
距離は約8㎞に過ぎないが、約1000mの登り700mの下りでかなり時間を要した。活動時間は12時間近い。しかし、稜線上の最大難関は通過した。体力的にもかなり疲れたが、気持ちの上でだいぶ楽になった。ここには水鹿は来ないようで、鳴き声も聞かなかった。

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第五日 10月29日(日曜日)大陸池 - 能高山主峰 - 卡賀爾山 - 能高古道 - 天池山莊


大陸池から能高主峰を越え天池山荘へ北上
能高主峰と卡賀爾山を超えていく
地面には霜
縦走も残り二日だ。あとは、能高山主峰を超えるだけだ。昨日大変だったこと、今日は最遠で天池山荘まで行けばよいことで、出発は遅くした。日の出後テントの外に出ると、霜が降りている。昨夜は寒かったわけだ。食事をして8時過ぎ出発する。

霜の残るテント、手前の水タンクには昨日使った池の黒い水
貴重な水を汲む
キャンプ場から少し進んだ鞍部から西に降りると水場があると、地図は示している。鞍部と思われるところに行ったが、様子が違う。メンバーのGPSを確認すると、キャンプ場にずっと近いところから沢側に降りることになっている。そこで必要なものだけをもって戻り、谷間を5,60m下る。踏み後もあるので、注意深く進めばわかる。涸れ沢沿いに行くが、水が出てこない。その時メンバーの一人が、左側の山肌に水が出ているのを見つける。各自3、4Lの水を補給する。昨日の教訓で、天池山荘まで行かず途中で設営することになっても大丈夫のためだ。

南峰を背後に大陸池から主峰へ向けて登る
水を得た後、ザックを残した場所に戻る。9時半、能高山主峰に向けて登り始める。右下のほうに池が見える。その向こうは奇萊東稜である。このルートもテント泊の厳しいコースだがいずれは訪れたい。10時27分、台灣池キャンプ地を右下に見る。黒い池がわきにある。稜線を追い、あるいは東側の山腹をトラバースして高度を上げていく。10時45分、右下の平らな場所に錆びたL型鋼が散らばっている。ここは以前能高山屋があったところだ。

左上に能高主峰、右下に池、そして遠くは奇萊東稜
鉄骨の残る旧能高山小屋の跡、テントを張れる
頂上近くの稜線から振り返る、南峰はすでに遠い
古い道標が地面に並べられている、前方は主峰山頂
11時18分、窪んだ稜線の間を行く。大きな石が散らばっている。窪み部分から前方に主峰頂上が望める。さらに行くと黄色の道標がある。地面には古い道標が並べてある。主峰まで 0.1Kとある。ここは以前能高山登山に利用されていた再生山(安達山)経由でやってくる登山道との分岐のようだ。今はこのルートで登る登山者は少ない。最後の急坂を登り11時32分、主峰山頂(標高3262m)に着く。これで、縦走中主要なピークは全部登頂できた。

主峰頂上、前方に双峰の卡賀爾山が見える
西、霧社方向を望む、右下の山は再生山(安達山)
主峰頂上のメンバー
南を望めば、5日かけてやってきた縦走の峰々が全部望める。今回は天気がよくて本当によかった。ここからは、清境農場が目と鼻の先だ。そのすぐ左下は霧社だ。奇萊南峰の前方深堀山から西に延びる稜線の山腹には能高古道が走っている。今日の目的地天池山荘も望める。東側の谷は雲が発生しているが、それはよい。もう十分に景色を楽しんできた。

頂上を振り返る



12時12分、主峰を下り始める。距離はまだあるが、気持ちは軽い。10数分歩いてくると、森の中の平らな場所にテントのシートや支柱が散らかっている。水場はなく緊急な状況で設営されそのまま打ち捨てられたのだろうか。12時30分、烏嘴尖石を過ぎる。尖った岩が露出しちょっと緊張する。道は稜線の西側山腹を下っていく。結構急な場所もある。13時4分、左に独立の石柱を見る。この辺りは風当たりが少ないのだろう。ヤタケは背丈よりも高い。途中、登ってくる10名ほどのパーティと行違う。大陸池キャンプ地にあったテントは、彼らのものということだ。一般の登山者ではなく、政府関係者のようだ。

道脇に残されたテントの残骸
烏嘴尖石を下る
双峰の卡赫爾山へ藪漕ぎしながら登る
少し登り返す。稜線上は風があるが、休んで腰を下ろすと風が当たらない場所では、日差しが強く少し暑いぐらいだ。全体には下りだが、稜線上には登り返しもある。登り切り、右に大石をみてまた下る。大石を回り込むと、前方に二つの耳が対峙する卡賀爾山が前方に現れる。下り切った後、また登り返す。14時17分、卡賀爾山の二つのピークの間に着く。霧がでてきて周囲の景観は望めなくなる。

卡賀爾山分岐
霧の向こうに太魯閣山、手前には池
14時45分、能高古道へ向けて最後の下りを始める。霧の一部が切れて太魯閣大山だけが右前方に見える。稜線上では低いヤタケは、風当たりが弱い場所ではすぐ背丈が高くなる。左に黒水の池を見る。岩の下りなどを通り過ぎ、ひたすら下る。16時過ぎ、高圧送電線が見える。峠までもう残りわずかだ。背丈と同じ草藪の藪漕ぎがまだあるが、これももうあとわずかだ。16時9分、送電線鉄塔の下に出る。休憩をとる。

送電線鉄塔がみえた
鉄塔の下で休憩
鉄塔の下は開けた場所で、縦走説明板や碍子、昔の設備がある。傾き始めた陽ざしが鞍部までの緩やかな稜線を照らす。光被八表の石碑も見える。東側の谷は、雲海に埋まり稜線の影を落とし始めている。16時55分、能高古道の分岐に着く。これで藪漕ぎから解放される。本当にほっとする。峠に向けて登っていく。左に光被八表石碑をみて、17時10分峠に着く。赤い夕陽は、西側の雲海を染める。通り過ぎてきた能高南峰と主峰は、ピンク色の雲の下に、静かにたたずんでいる。気温も低くなり始めた。

前方に南華山、その前に光被八表石碑が望める
能高古道分岐に着き、ほっとする
南華山(能高山北峰)への道を右に分け、天池山荘へ向かう。残りは3Kほどだ。だんだん暗くなる幅の広い古道を進む。一部登りがあるが、今までの道に比べれば、こちらは高速道路だ。ヘッドライトを点灯して歩き、18時20分前に天池山荘に到着した。

雲海の谷と能高南峰(左)と主峰
能高古道から望む能高南峰と主峰(卡賀爾山)
もともとは、山荘に宿泊すべく申し込んだ。しかし、逆行にしたのでもともと得ていた予約はキャンセル(能高古道も不通なので、山荘がキャンセル)となり、新たに申し込んだが満員のため、我々のスペースはない。到着後、空きを確認したがそれもない。そこで、山荘に常駐している協作業者に話し、晩朝の食事とテント泊で一人当たり500元で対応する。疲れているので、設営や食事の支度をしないで済むのは、助かる。

能高古道から望む夕陽
距離約10㎞、登攀累計670m、下り800mである。活動時間は約10時間、下りがメインだが、それなりに疲れた。5日間の疲れがたまっているのだろう。食事を終え、20時には協作業者の8人用テントに入り就寝する。夜寒くて、何度か目が覚めた。

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第六日 10月30日(月曜日)天池山莊 - 雲海保線所 - 屯原登山口


東の天池山荘から屯原登山口へ能高古道を下る
一部の登り返し以外は下り
天池山荘、背後は深堀山
5時半に起床、6時におかゆの朝食をとる。昨晩はにぎやかだった山荘は、すでに多くの登山者が出発していてガランとしている。濡れた時のための着替え用として持ってきたズボンやシャツに着替える。山荘からは、正面に尖った能高主峰がすぐ左に卡賀爾山を従え、朝陽に輝いている。その左には大柄の能高南峰も朝陽を浴びて佇んでいる。今日は、いよいよこれら峰々とお別れだ。

出発前のメンバー全員
山荘裏側、昨晩のテントとオートバイ
7時に出発する。登山口屯原までは約13キロの道のりである。距離はあるが、非常に良い道で、なおかつ下りである。気持ちは軽い。山荘わきの道を少し登る。山荘で使う水槽タンクがたくさん並んでいる。山荘は水洗トイレもある。そうした水はここでまかなっている。

能高瀑布




日本時代に開削された山越え道は、八通關古道と同じように、警備道の性格があるので、勾配は少なくまた道幅が広い。大砲などを運搬し、またいざというときに軍隊を東西移動させることができるように造られている。八通關古道は、現状は残念な状態だが、能高古道は、東西送電線の保守用道路として整備さてきたので、状態はすこぶる良い。昨日歩いた峠から東側は、すこし程度は落ちるが、西側は本当に日本時代と同じだろう。今は、能高越嶺國家步道と呼ばれている。

吊り橋
状態のよい古道
前方に、探検隊としてやってきてこの地で殺害された深堀大尉の名にちなんで命名された深堀山が、朝陽を浴びて輝いている。歩き始めて数分で能高瀑布の三段滝を右にみて吊り橋を渡る。この辺りは、実はがけ崩れでなくなってしまったもともとの古道とは違い、のちほど新たに造られたものだ。西側では、そうした新セクションが何か所かある。

7時21分、二つ目の吊り橋をこえる。山肌を縫っていく道は、方向が変わる。それにつれ朝陽の中の能高山が見えたり隠れたりする。更に数分進むと、今度は深い谷を挟んで天池山荘が見える。崖上にできており、ここから見るとかなり危なそうな感じがする。11.5Kのキロポストで、休憩し衣服を調整する。

古道から能高主峰(中央)と南峰を望む
炭焼き窯跡
8時25分、9.5Kキロポストを過ぎるころ、能高山主峰から峠へと続く稜線もよく見えるようになる。一方、高度がさがったので、南峰はすでに主峰の裏に隠れて見えない。8時46分、炭焼き窯跡を通過する。そのすぐ先には松原駐在所があった。今は特に説明板もないので、どこがその跡なのかもうひとつはっきりしない。アカマツが多く、松原はそれからの名付けなのだろう。8Kあたりになる。

送電線下を行く


9時13分、高圧電線鉄塔の下を行く。まさにこの送電線のおかげで、能高古道は生き延びた。ところどころに現れる木桟道は、しっかりしたつくりでまったく心配がない。9時23分、6.5Kキロポストを過ぎる。これで半分を歩いた。

9時30分、6Kを過ぎると大きな山崩れの場所にくる。ここは大雨の後よく崩れる場所だ。10月初旬の大雨でも崩れ、そのため27日まで古道が封鎖された。この部分の前後には小型シャワーショベルがある。崩れたあと、すぐこの機械で手直しをするようだ。こんなところでどうして遭難したかと思うが、実はその雨の時にここで遭難が発生している。山崩れ部分を超すと、しばらく登りが続く。ちょっとつらい。9時55分、5.5Kキロポストで休憩する。

山崩れ部分
プロパンガスタンクを載せてオートバイが下っていく
歩き始めすぐ下りになる。後ろからオートバイがプロパンガスのタンクを載せてやってきた。天池山荘管理室わきにオートバイが止めてあったが、その三台である。こうした輸送ができるので、天池山荘はメンテも楽なのだろう。もともと能高古道は、日本時代に自動車道にする計画があり、実際今の登山口屯原まで幅員が拡張された。しかし、第二次大戦の勃発で、それ以後の作業が中止された。今の道幅では、自動車はちょっと苦しいが、オートバイでは全く問題ない。

雲海保線所
10時18分、雲海保線所につく。広い敷地に建物が建ち、その前の広場にはベンチもある。ここはもともと尾上駐在所があったところだ。少し休憩する。今日は登山者が多い。今までも数人と行き違い、または追い越してきたが、休んでいる間に二、三十名のグループがやってきた。能高古道は、実によく歩かれている。国家歩道というのも嘘ではない。

古道から見る馬海僕富士山


10時35分、最後の歩きを始める。残りは4K強、3分の1だ。福雲宮の土地公廟を過ぎ、更に数分行くと吊り橋を越す。その先、尾上山登山口を過ぎる。今日は、この山は登らない。11時10分、送電線建設の説明看板を送電線下に見る。左に馬海僕富士山を見る。台湾には、日本の富士山のような形をした何とか富士山が各地にある。この山も、台形の山容で日本時代にそう呼ばれた。今もその言い方は続いている。

登山口近くの山崩れ場所から左奥に能高山を見る、すでに遠い
能高古道入口、屯原登山口
11時33分、IKキロポストを過ぎる。左下に屯原登山口が見える。もうあとわずかだ。この辺りも山崩れがよく発生する場所のようだ。壊されてくねくね曲がった鉄製の補強材などが谷間転がっている。保護用の桟道柵もひん曲がっている。登山口のすぐ前で、左に高く能高山が姿を現す。これで本当にお別れだ。11時50分、登山口に着く。まもなく、確認しておいたシャトルサービスの車がやってきた。約13k、5時間弱の歩きである。約1100m下ってきた。

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六日のテント泊縦走は、それなりにきつい。しかしそれに見合う素晴らしさを体験できた。台湾の高山は、筆者の経験からするとひと昔前の日本南アルプスの感じがする。それは山の大きさやアクセスの点からだ。能高安東軍縱走は、その自然は日本アルプスにない広大な草原、池湖、水鹿など特別なものがある。この縦走路はいずれの国家公園にも属さない。入山許可申請だけでよい。また、天池山荘に泊まらないのであれば、山小屋もないので予約の問題もない。雪山山系の雪霸國家公園は、入山にあたり対象山岳の困難度などの制限も加わる。そうした厄介さは全くない。入山許可は、ほとんど審査もなく入手できる。つまりは、実力さえあれば誰でも簡単に入山し、その魅力を堪能できる。

テント内から安東軍山を望む
筆者は、この縦走路は日本の山では飽き足らない、学校山岳部の縦走合宿などに最適ではないかと思う。沢を経て稜線に取りつく或いは下る、自分で設営し食事を作る、日本にない風貌の山岳など、貴重な体験ができると思う。位置的には台湾の中央になり、台湾のすべての高山が見渡せる。さらに、日本人にとっては歴史的にとても関係の深い能高古道を歩き、日本の近代史を身をもって体験できる。ただ、いったん入ってしまうと逃げ道はない。そのまま進むか、引き返すかだけだ。その意味では、慎重な準備と現地での対応が必要であることは、忘れてはならない。

費用については、今回は民宿500元、シャトルサービスは1台11000元で6人分担、それに天池山荘での食事とテント500元、合計3000元ということろだ。山岳を中心にしている旅行社の場合だと少なくても15000元ほど必要のようだ。もちろん、後者は食事やテントは自分で対応しなくてよいので、楽である。

水鹿の楽園

2 件のコメント:

  1. 素晴らしいレポートありがとうございます。
    幾つか質問させてください
    *6名中4名が長靴を履いていましたが、渡渉と泥濘地対策ですか?
    台湾では一般的な装備なのでしょうか?
    私は冬の奥多摩などで使っていましたが、足首が締まらず下りでつま先を傷めて以来山では使っていません。
    足首が細くできているなど山向けなモデルになっているのでしょうか?
    *水について、生水は飲めますか?
    私は日本ではその場その場で判断して生水をそのまま飲みますが、日本の感覚で大丈夫ですか?あるいは湧き水でも煮沸するべきでしょうか?
    その辺の感覚的なところをお教えください。
    よろしくお願いします。

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  2. 台湾の山は、日本に比べると湿気が多くまた渡渉も多いので長靴が結構多いです。少し大きめの長靴に中敷きをいれて履いています。長靴は普通の長靴です。下りでは足先に荷重がかかりますが、歩き方で少しは緩和できます。トータルでみて濡れた靴で歩くか、それとも水が入らないようにするか、の判断です。自分ももともとは登山靴で登っていましたが、慣れると大丈夫になりました。
    水については、流れている沢の水(湧き水も同様と思います)は基本的にそのままで大丈夫です。今回の縦走では、第一支流に入った後の沢水は、そのまま飲んでいます。池の水は、程度に結構差がありますが、基本的には沸かして使用します。動物なども飲みますし。特に、ほかに水源のない場合の池の水は、茶色ですが漉して沸かし使用しています。

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