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2025-04-10

2025年4月3日~6日 四日間台湾一周で各地の特徴ある山を登る

今回行動中の最高点合歡山主峰:左奥に雪山山脈、右は中央山脈北部、手前は合歡山北峰

日本から二人の山友達が来訪した。目的は、短時間で台湾をめぐり特徴のある山を登るこ
とである。初めて台湾を訪れ、その山岳や自然、また人々の暮らしなどを知りたいとい
う。そこで、今までの経験をもとに限られた四日で台湾をめぐり、山を登る計画をした。こ
の記事は、その意味では特殊だが、日本から訪れ短時間で台湾山岳の自然人文の特徴を知
るには、一つの参考になると思う。

行動中最も低い山頂、果樹園内の紅毛埤山山頂(標高150m)
台湾は、九州と同じぐらいの大きさである。しかし、そこには富士山より高い山を含め、3000m峰の山脈が北から南へと延び、島の東西を隔てている。標高100m以上の丘陵や山岳の土地が、全面積の四分の三を占める。数限りない山岳のどこを登り、どのように廻ればよいのかが、ポイントである。そこで、今回は自動車移動を前提に、三泊四日の日程を組んだ。車移動であれば、臨機応変に対応できることもあるので、基本的なルートを決めて、現地で実際の時間配分や天候を考慮して移動した。予定の宿泊を変更したり、新たに追加した山などもある。

訪れた山の位置と標高:左から馬那邦山,合歡山,卡拉保山,初音山、大山母山、紅毛埤山
具体的なルートは以下である。

第一日:台北→苗栗縣大湖→馬那邦山→南投縣廬山溫泉區(宿泊)

第二日:廬山溫泉區→合歡山→卡拉寶山→太魯閣→花蓮(宿泊)

第三日:花蓮→初音山→玉里→屏東縣楓港(宿泊)

第四日:屏東縣楓港→大山母山→台湾最南端→嘉義縣紅毛埤山→台北

山岳選定は、台湾の背骨である中央山脈の3000m峰、1000~3000mのいわゆる中級山、そしえ人文歴史などの特徴のある山(小百岳)を対象とした。また、台湾の東、南そして西を巡ることで、台湾各地の気候や住民の暮らしなどの特徴も体験することを考えた。その結果が、上記のルートである。移動距離が長く、活動時間も限られるので、登山時間はそれぞれ2~3時間以内とした。移動中には、現地の食事処で食事をして台湾各地の食物に触れた。この四日間は、ちょうど台湾の清明節連休に重なり、高速道路渋滞や宿泊地の予約が取りにくいなどを心配したが、それもあまり影響なく順調に遂行できた。

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4月3日 第一日

西側から馬那邦山を往復
南湖から山道に入る
朝8時過ぎに友人宿泊の新北市のホテルで落ち合い、第3高速道路から第72快速道路を経由して、11時に大湖に到着した。コンビニで行動食を購入、台3号線をさらに南下、南湖から山道に入る。こちら側は、二カ所の登山口がある。上湖登山口と天然湖登山口である。今回は、前者を目指す。第一駐車場があるが、時間節約のため、錦雲山荘をすぎてさらに登る。11時50分、道の凹凸が激しくなり、これ以上は四駆でないと難しいので、その場所で駐車する。ほかにももう一台泊まっている。今日は、登山は二人でほかは車に残ることになった。

上湖登山口、下りは左の道からここへ戻った
竹林の中の登山道

舗装されたつづら折り道を登ること約20分、土の山道が始まる登山口に着く。大きな地図や説明板がある。山道は石段や木製階段もあり、状態はよい。竹林や雑木林の急斜面をひたすら登る。道端に切ったばかりの黄藤がある。茎もトゲトゲ、細い枝にも引っかかるトゲが出ているのを見て、友人は写真に記録する。日本では見かけない。藪漕ぎで黄藤に出会ったら、切り倒すしかない。12時43分、左から珠湖線登山道に合流する。ここから尾根上の道である。

道端の刈られた黄藤
珠湖線登山道との分岐

分岐から間もなく、抗日戦場跡に着く。その昔は、現地原住民との戦いで戦死した日本人の忠烈碑があった。今は新たに作られた記念碑に置き換えられ、またその脇に説明文がある。時刻はすでに昼を回っているので、記念碑わきのベンチで休み、食事をとる。登頂を済ませた登山者も多くすれ違う。

抗日戦場跡とベンチ
石門

尾根上の道は、前半はあまり起伏がなく進む。戦場遺跡から10分ほどで石門と刻まれた岩の間を通りすぎる。そのあと勾配がきつくなり、13時20分に天然湖登山道の桟道に合流する。山頂はもうすぐだ。つつじが咲く山頂下の広場を回り込み、13時半に馬那邦山山頂(標高1406m)に着いた。筆者はこれで三度目の登頂だ。

尾根上の急坂
天然湖登山道と合流
山頂わきの孫を連れた年配登山者
馬那邦山山頂

本来山頂から雪山山脈の展望を期待していたが、残念ながら雲がかかり、また大克山方向の山並みも霞んでいる。昨日までの悪天は、今日から回復の予報だが、北部の山間部はまだのようだ。下方にかろうじて大安溪の広い河原が望める。山頂には学生と思われるグループや、幼い子供ずれの家族もいる。連休初日の今日の山頂は、にぎやかだ。

霞む大克山と大安溪の谷間
珠湖登山口は左、右の連絡道を上湖登山口へ
13時50分、下山を始める。まだ登ってくるグループとすれ違い、稜線上の往路を下っていく。戦場記念碑を通り過ぎ、14時18分上湖登山道と珠湖登山道との分岐に着く、少し遠回りになるが、尾根道をさらに下る。10分ほどで、上湖登山口への連絡道との分岐で左に曲がり、ほどなく登山口に戻った。さらに舗装路を下ること15分、15時53分に錦雲山荘わきで車に戻った。残ったメンバーが車をここに回していた。休憩込みで3時間、往復6㎞、累計登攀約600mである。コース定数は14となる。

朝の出発点からさらに下る
錦雲山荘入口
霧社で夕食をとる

まだ先が長いので車に乗車し、出発する。豊原から第4高速道路、第74快速道路、そして第6高速道路と繋いで進み、17時過ぎに埔里を通過する。台14号線を進み、人止関を過ぎて17時4分に霧社に到着した。霧社は1930年に霧社事件が起きた。ここで夕食をとる。一軒だけ営業中の食事処で食事をとり、コンビニで明日の行動食を購入する。



儷萊春陽山莊に到着

今日の行程最後は、台14号線を下り、19時少し前に儷萊春陽山莊に到着した。ここはまだ新しい、登山者向けの民宿である。入口の門は締まっている。連絡して開けてもらう。我々に前後して別のグループも到着した。明日は未明に出発の予定である。21時路には就寝した。

民宿室内

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4月4日 第二日

左が合歡山、東側に卡拉寶山

夜明け前でまだ暗い

4時に起床、外に出ると満天の星。今日は好天が望めそうだ。昨晩受け取っていた朝食を食べ、夜明け前の5時に出発する。台14号線を霧社へ戻り、台14甲線を登り始める。この道の前身は、日本統治時代に太魯閣族との闘いのために開かれた軍用歩道である。その後軍用道路は、合歡越警備道に姿を換え、途上には多くの駐在所が設けられた。そうした過去の歴史は、今の清境農場付近の大型民宿や観光関連施設からは、想像できない。

右に馬海僕富士山、左奥に能高山
ヤタケ草原の間を台14甲線道路が行く
5時45分、夜明け少し前だが十分に明るい。車を降りる。清境農場の対岸には、馬海僕富士山が朝靄の中にその端正な姿を現す。その稜線を左におっていくと、分水嶺となる中央山脈の能高山が遠くそのシルエットを呈する。台14甲線をさらに登る。樹林帯からでて草原の道となる。標高はすでに3000mを超えている。6時10分ごろ当道の峠、台湾の自動車道最高点、標高3275mの武陵に着いた。日本時代は佐久間峠と呼ばれたいた。この名は、台湾第5代総督佐久間左馬太に由来する。峠前の駐車場に車を泊め、合歡山主峰へ歩き出す。
車道を少し下る

道端につららが下がる

合歡山の登山口は、自動車道を少し戻ったところにある。登ってきた方向へ少し下っていく。道脇の地面は霜がおり、わきの露出した部分には小さなつららが下がっている。4月であるが、3000mを超えるこの地は、まだまだ寒い。ダウンや毛帽子を着けて歩く。まだ枯色のヤタケ草原の対岸には、南へ能高山へと続く奇萊山の峰々が連なる。6時38分、車道わきの登山道を登り始める。登山道といっても本来はすでに廃棄された上部にある軍事施設への連絡路である。幅が広く勾配も緩い。

広い山道を登る
山頂の筆者
道なりに登っていく。上がるにつれ、周囲の展望も広がる。今日は実によい天気だ。雲一つない。すぐわきには合歡山東峰がどっしりと構える。7時25分、山頂に到着する。まだ誰もいない山頂(標高3417m)は、最高の展望台だ!北には雪山山脈の大きな山塊、その東側に南湖大山と尖って存在を主張する中央尖、それから南に伸びる北二段の山々、さらにその南には畢祿山、ギザギザ稜線の鋸岳、そして羊頭山。視線を南遠くに移せば、玉山主峰、東峰そして北峰が三座そろって、干卓萬山塊の上に顔を出す。その東は長く伸びる南三段の山並みだ。能高山の左には、能高南峰も顔を見せてその存在を主張する。近くには合歡山北峰と西峰、そしてその左には白姑大山。台湾の背骨を構成する山々の半分が見えているのではないか!

西から北側のパノラマ:左奥から白姑大山,雪山山脈,手前の合歡山西峰と北峰、そして右奥中央山脈北部
東から南側へのパノラマ:鉄塔の向こうに屏風山から奇萊山の山並み、手前は合歡山東峰
干卓萬連山の向こうに玉山三座、その左が南三段、手前に馬海僕富士山
道の霜が解け始めている
気づかぬうちに一時間半も山頂で過ごしている。北欧から来たという四人パーティが登ってきた。9時少し前に下山を始め、30分ほどで駐車場に戻りついた。出発前に武陵の高台に上がる。観光客もだいぶ多くなってきた。朝のあれほどの寒さはすでに去り、陽光の中温かい。近くには合歡山東峰や石門山など簡単に登れる山もあるが、長い台8号線中部横断道を下って花蓮に行くことを考え、9時40分次の目的地へ進む。

武陵
武陵高台から駐車場を見る
碧祿
大禹嶺で台14甲線から台8号線中部横断道路に入り、どんどん進む。山腹を進む道は、立霧溪の谷を挟んで屏風山の周辺を回っていく。10時35分、樹齢3000年といわれる巒大杉がわきに聳える碧祿(標高2150m)に着いた。ここは小百岳卡拉寶山の登山口でもある。卡拉寶山の南下には、太魯閣族の卡拉寶部落があった。前述の太魯閣戦争の戦地でもある。今はその部落はない。




急坂を登る
卡拉寶山登山道は、トイレ脇から斜面をほぼ直登する急坂で始まる。広葉樹が主な樹木は、多くのコケでおおわれている。中級山でよく見る林相である。登ること20数分で勾配が緩くなり、稜線に上がる。シャクナゲ林を過ぎ、10時8分に山頂に登りついた(標高2397m)。周囲は樹木に囲まれ、展望はない。明るい山頂は、今朝の寒さを忘れさせる。20分ほど山頂で過ごし、往路を下る。11時50分登山口に戻りついた。
卡拉寶山山頂
樹齢3000年といわれる神木
深い立霧溪を挟んで奇萊東稜の山々が連なる、右のピークは立霧主山
これで今日の登山は終わりだ。しかし海際の花蓮までは、まだまだ遠い。中部横断道路はここから大きく高度を下げていく。右には奇萊東稜の山々が、立霧溪の深い谷を挟んで連なっている。雄大な山塊、底が見えないほど深い谷、このような場所で110年前の1914年当時の政府軍警と太魯閣族原住民が戦い、双方に大きな犠牲を生じた。

天祥,上流方向を見る
案内板わきに座るサル
13時40分、その昔タビトと呼ばれた天祥に着く。ここは立霧溪と大尖溪の合流点で、太魯閣溪谷の終点でもある。去年4月に発生した花蓮地震で、渓谷には大きな被害が発生した。死傷者がでたことは、記憶に新しい。そのため、太魯閣渓谷を行く道路は、復旧工事のため通行制限が行われている。次の開放時刻は15時である。車を行列の後ろに止め、天祥を歩く。付近の遊歩道は現在すべて不通である。営業している食事処は一軒のみで、行列している。本来ここで食事を考えいたがままならない。戸外で食べようと握り飯を取り出しわきに置いたその瞬間、野生サルがどこからか現れかっさらっていった。こちらを振り向き、”あっかんべー”をしているような表情だ。まったく油断ならぬ!

バックのチャックを開けて食べ物を探すサル
門が開かれ動き始める
15時、通行開放され、長く行列をつくっていた車は動き始めた。筆者が1983年に車で初めて訪れたころに比べ、渓谷を行く道はずいぶんと改良された。トンネルが多く掘られ、また道幅も拡張された。15時40分、渓谷から抜け出し、新城を通り16時過ぎに花蓮駅前に到着した。今日は駅前のホテルに投宿する。18時に近くの食事処で食事をとる。台湾の臭豆腐は、一人のメンバーにはちょっときついようだ。22時には就寝した。

地震による壮絶な崩壊跡
今日は、二カ所の登山であった。合歡山は距離約4㎞、累計登攀約200mである。活動時間は3時間ほどあるが、そのうちの半分は山頂での時間である。コース定数は6だ。一方、卡拉寶山は、距離1.2㎞、登攀約190m、活動時間は1時間15分だ。コース定数は5となる。

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4月5日 第三日

花蓮市街の西に位置する初音山
朝の花蓮駅
今日は台湾の東側を南下する予定だ。花蓮から南下する前に、花蓮市を見渡せる初音山を訪ねる。初音は、日本時代の能高越嶺道が木瓜溪に沿って下ってきて花蓮に入るところにある場所で、当時は鉄道駅があった。能高越嶺道を歩くには、ここが実質的な発着点であった。初音山は、花蓮市街の西側にあり、標高は906m、前面には遮るものがないので、展望がよい。小百岳の一座である。



初音山への道から見る初音山(左)と白葉山
朝6時に起床、ホテル近くの食事処で台湾の典型的な朝食をとる。7時10分過ぎ、いよいよ出発だ。初音山は登山口が二カ所ある。一つは北側華林園登山口と反対側木瓜溪わきの榕樹社區登山口である。前者は車で標高700mまで車で登れる一方、後者は標高差が大きく道が良くない。我々は華林園登山口へ向かう。近づくと背後の白葉山を控えた初音山は、かなり威風堂々である。1908年現地亜美族原住民と政府との衝突があった、七腳川部落を通り過ぎる。

華林園前のスペースに駐車

華林園へと道は登り始める。道幅は狭いが、しっかりした道はつづら折れで高度をあげる。7時52分登山口に着いた。周囲には車が数台止められるスペースがある。8時過ぎ歩き始める。幅のある緩やかな道を進み、道が大きく左に曲がって勾配が増す。ロープを付けた急坂も現れる。その先緩やかになり、8時34分広く平らな初音山山頂についた。




前半は緩やかな道

ロープの急坂
広い初音山山頂
花蓮市街を俯瞰する
山頂の筆者、背後は白葉山

山頂は東側の樹木が少なく、そこから花蓮市街の展望が広がる。天気は曇りで、市街の向こうの水平線は判別できない。西側には、白葉山(標高1984m)が盛り上がる。この山はあまり歩かれていないようだ。そのうち単独ハイカーが登ってきた。


急坂を下る



8時54分、山頂をあとに往路を下る。下るのも早い。登山口近くまで来たとき、数名の捜索隊とすれ違う。そのうちの一人が何か気づいたことがないか、と尋ねてきた。話によると3月28日に登山者が行方不明になったとのことだ。このような簡単な山での遭難事故とは不思議でもある。9時16分登山口に戻りついた。距離は約2㎞、休憩も含め1時間15分の活動時間である。標高差約200m、コース定数は5となる。

先ほど登った初音山を見上げる
計画時には、花蓮からのルート上でもう一座登り、台東近くで宿泊することを考えていた。しかし、明日は台湾最南端を訪れ、その後台北へ一気に北上する。そこで、宿泊地をさらに南の場所に変更し、今日はほかの山は登らず南下することにする。台湾の東側は、中央山脈のさらに東に、標高1682mの新港山を最高峰とする海岸山脈が170数キロにわたって南北に並行する。その間は花東縱谷と呼ばれる谷が続く。道は海岸線を行く台11号線と花東縱谷を行く台9号線がある。

谷の先の山々は雲の中
我々は、台9号線を南下する。もともと人口が少ない東部は、道路は直線的に伸びるところが多い。もちろんカーブや河川を渡るが、広い道で快適だ。高速道路ではないので、制限速度は時速70㎞である。本来西側に中央山脈が迫っているが、高い部分は雲の中で見えない。東側の海岸山脈は、低いので稜線がわかる。

住居に挟まれた玉里神社跡の鳥居
灯篭も残っている
瑞穂を過ぎて道は少し登り、下って秀姑巒溪の流域に入る。11時40分過ぎ、台9号線はバイパスで進むが、そこから離れて玉里市街に入る。ここには、日本時代の神社があるので、そこに立ち寄るためである。玉里は、日本時代の八通關越嶺道の東側起点であった。線路下をくぐり、山側へと進む。11時50分、まだ残る鳥居をくぐり階段を登る。別の鳥居をくぐると広い高台の境内が広がる。社の建物はすでになく、土台が残るだけだが、昔の面影を偲ぶことができる。

神社建物の土台と説明文
神社高台から見る玉里市街とその向こうの海岸山脈
安通温泉の入口
神社から下り、また先を急ぐ。時間がまだ早いので、台30号線経由で海岸山脈を超え、海側にでることにする。安通温泉を過ぎる。この近くから安通越嶺古道が始まる。トンネルで峠を超え、つづら折れを下って12時42分、海岸を行く台11号線に合流する。右に曲がって、海岸を南下する。13時5分、大きな漁港をかかえる成功の市街で立ち止まり、海鮮料理を食べる。

成功市街の海鮮料理店
釈迦頭即売店
約1時間ほど海鮮料理を堪能し、台11号線をさらに南下する。右に都蘭山をみて、台東の市街に入る。道路際には、多くの釈迦頭の即売店が並ぶ。日本ではほとんど見ないこの果実を少し買い、その先で台9号線と合流する。知本温泉への道を分け、右の山が迫ってくる。台9号線は海際を南下し、16時半達仁から山越え道が始まる。この部分は南迴公路と呼ばれる。トンネルで峠を越えたその先、渋滞している。高雄や屏東へ向かう車が多いのだろう。片側二車線が一車線に減るための自然渋滞だった。

海岸際を進む
渋滞中の峠道
左に女乃山登山口
30分ほどのノロノロ運転のあと、渋滞が終わりスムースに下っていく。先月歩いた女乃山の登山口を左に見る。言われて気づいたが、女乃山は日本語の読み方では、「女の山」である。沈みゆく大きな太陽と競争で下り、18時少し前に目的地楓港の隆安旅店に着いた。先月の南部山行で泊まった宿である。






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4月6日 最終日

恆春半島最南端の一等三角点大山母山と最南端海岸白沙鼻
交差点の上に里龍山山頂が見える
朝5時15分に起床、6時過ぎに出発する。宿近くのコンビニに立ち寄る。ここは台1号線道路461㎞の終点である。台26号線が取って代わるその交差点の遠くに、恆春半島の最高峰里龍山(標高1062m)が頭を霧にまかれて前の稜線から姿を見せている。今日の目的地は、台湾最南端の一等三角点がある小百岳大山母山と台湾島最南端白沙鼻である。

大山母山登山口
緩やかな道
台26号線を右に海を見て進む。恆春市街をバイパスで通り過ぎ、7時少し前に大山母山登山口へと続く細道の入口から登る。数分で共同墓地わきの登山口に着いた。前方には大山母山がどっしり座っている。支度をして歩き始める。周囲の灌木はまばらであまり高くない。道はとても乾いている。登山口の案内では、外来種拡大を防ぐために植林を行うという。

前方の森に入り登る
ガジュマル樹の門
幅広の道を進むと、方向を換え、前方に大山母山が見えるあたりから勾配が増す。1Kキロポストをすぎると、道はまた森の中に入り、急斜面を横切って高度を上げる。五色鳥の特徴ある鳴き声が響く。7時48分、大山母山山頂(標高325m)に登りついた。筆者は先月も訪れているので、一か月後の再訪である。時間が早いためか、山頂からの景色は少しぼやけている。それでも鵝鑾鼻の灯台は判別できる。手前の岩峰大尖山も印象的だ。

山頂の一等三角点
大尖山が印象的な南方向のパノラマ
往路を下る

墓地わきの登山口に戻った
最南端駐車場

8時6分、往路を下り始める。わずか片道1.7㎞の道だ。8時36分、登山口に戻った。距離は3㎞強、登攀は210mほどだ。山頂での時間を入れて約1時間半である。車に乗車し、台26号線にでて、さらに南下する。墾丁の街を抜け、9時6分に最南端駐車場に着く。観光バスや数台の自家用車が駐車しているが、多くない。気象レーダーのわきを下り、歩道を歩く。サンゴ岩と絡まるガジュマル樹、ヒラヒラと舞う多くの蝶、まさに南国の風情だ。9時22分、最南端のモニュメントに着いた。多くの岩の海岸の向こうはバーシー海峡だ。

歩道を最南端へ
最南端モニュメント
蓮霧即売店
往路を戻り、駐車場で車を拾い、9時50分台北に向けて北上を開始する。恆春の市街に入り、城門を車から見学、引き続き北上する。台1号線の林邊付近で、これまた日本では見かけない果物、蓮霧の即売店が多く道脇に並ぶ。少量買って試す。第3高速に入る。幸い上り線を行く車は少ない。12時55分、東山サービスエリアに立ち寄り休憩する。

鎮德宮
蘭潭水庫
道路混雑状況も問題なく、時間もまだ早いので高速道路から近い嘉義の紅毛埤山を訪れることにする。第3高速道路を嘉義ジャンクションで降り、少し南に戻る。嘉義市東部の丘にある鎮德宮駐車場に、13時40分に着き車を泊める。気温は30度に近いだろう。一昨日の山上での気温となんと30度近くの温度差だ。駐車場下には小高い丘に囲まれた蘭潭水庫の湖面が見える。

階段道を登る



涼亭わきの道を進み、遊歩道に入る。すぐ左に階段を登り、その先で山子頂山(標高143m)に立ち寄る。果樹園内の山頂である。さらに進んで民家を回り込み、10分ほどで小百岳である紅毛埤山の山頂につく。山頂といっても果樹園内の三角点があるだけで、まったく一般的な山頂の感じではない。このような山頂は、中南部には少なくない。
山子頂山山頂の筆者
別の道経由で出発点に戻る
嘉義市市民の憩いの場所的な存在の紅毛埤山
高速道路に上がる前にコンビニに立ち寄る
別の山道を下り、遊歩道にでて登り返し、先ほど歩いた階段に戻る。散歩にきている地元民も少なくない。14時18分、鎮德宮駐車場に帰り着き、第3高速道路へと進む。途中でコンビニに立ち寄り、ジャンクションから高速道路を北上を続ける。彰化台中付近で車が多く、スピードが落ちたが、その後はずっと第3高速道路の南下を続ける。後龍あたりで東側に、雪山山脈が見えた。新竹で第1高速道路に入り、18時半ごろ台北に帰り着いた。
第3高速道路から東方向を見る
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四日間の行程は、車での移動時間が多い。宜蘭地区や台湾島北部は訪れていない。駆け足で巡った感があるが、それでも上記のように台湾の山岳の各特徴を表すような山を訪れることができたと思う。もちろん台湾の山は数えきれないほどある。3000m超のピークだけでも200数十座、それ以下の山は果たしていくつあるのか。台湾は海に囲まれた山岳王国である。この四日間で友人は、そのことを認識したと思う。また台湾を訪れるつもりだという。彼を通して、多くの日本人が台湾の自然や山岳、そしてそこに暮らす人々を知ってもらえばと、切に願う。